2019年03月31日

スムーズと開放


楽器のサウンドとして、理想を端的に言葉にすると


スムーズに開放されている


としたい。

実は、クリアーとかまとまり、明るさや艶という好まれる特徴も、これを極めることで手に入るのだと思っています。


コミュニケーションの心地好さも、ここにあるかな。

各々が開放されている自由な存在、自由な発言(勝手という意味ではない)が、スムーズに進む。


室内合奏団、N響練習、ブロカート

posted by take at 09:24| 活動報告

2019年03月30日

猛ツァルト


なんと現在、3曲ものモーツァルトに取り組んでいます。一介のトロンボーン吹きなのに。

ブロカート室内合奏団で交響曲の第1番と第39番、ブロカート本体で第31番のパリ。実は本体のアンコールもアヴェベルムコルプスなので4曲ともいえる。

2週間後の本体の本番までに室内のアンコールが決まったら、まずモーツァルトになるだろうから5曲になる。なんてことだ。


以前は経験値が低すぎる(レクイエムしかやったことない)身として、仕立て方に凄くプレッシャーがかかっていたのですが、大分楽になってきました。

交響曲も5曲くらいやってきたし、ディベルティメントやシンフォニアコンチェルタンテなんかもやれたし。

指揮者なしで交響曲連続でやるのや、内田光子さんの弾き振りなんかも聞きにいき、少なからず染みてきたことも。

ただそれでも、オケ側で演奏したことのない交響曲たちは、やり手としての喜びを理解するのは難しい。トロンボーンのある曲に取り組むときは、いろんな指揮者のやり口含め、その視点からもアプローチできるので。

しかしそんな不安を超えて、モーツァルトをやる喜びというのは、十分に大きなものとして受け止められます。


明日は午前に室内モーツァルト、午後はN響でワーグナー、夜本体でモーツァルトとマーラーというフルコースになる。

オーケストラ全体のサウンド感に関して、新しい投げ掛けをしどうなるのか実験しようと思っている。

それがモーツァルトに相応しいのかどうか、大いに興味のあるところだが、きっと深い懐で僕の実験を飲み込んでくれるだろう。


それが、時空を超えて愛されまくっているモーツァルトということなのだと思う。


休日

posted by take at 16:37| 活動報告

2019年03月29日

白菜の証明


母さん、僕のあの白菜漬け、どうしたんでしょうね?



ある日の晴天のなんこや。駅から大学へ歩く途中にベルクというスーパーがあるのですが、その駐車場にて不思議な光景を見たんです。

白線で仕切られた駐車スペース、車はいないのだがその隅、アスファルトの上に、寸分狂わずラインと平行に大きなタッパーが鎮座している。

フタは透明なので、中に白菜の漬け物がびっしりつまっているのがわかる。


こっ、これはっ?!


つまり白菜漬け入りタッパーが駐車しているのだが、落ちたにしては見事にスペースの長方形と平行。

でも「置く?」

そもそもスーパーに売っているバージョンではないから、何故ここにやって来たのかが既に疑問。

人生を長くやっていると、何度かは「何故これがここに?」ということはある。

青い空の下、白菜漬けの降臨、その運命に想いを馳せながら大学へと歩いていたら、僕はふと、楽聖が話してくれたあることを思い出すのであった。



「先生。私が高松一高んとき、正門出たとこの歩道に立っとったポールの上に、なんでかビニールに入ったうどんの玉が乗っとったことがあったんです。誰も取りにこんけんしばらくそこにあったんですけど、気がついたらなくなっとった」

この楽聖が、大学生になっても讃岐弁が抜けなかったことに関しては軽くスルーしていただくとして、ビニールに入っとったということは乾麺ではないわけで、うどんの玉として生まれてきたのに、買い主にポールの上に忘れられてしまい、おそらく廃棄されてしまった玉彼の生きざまが忍びなくて生姜無い。


ポールはおそらく1メートルくらいではなかろうか。

買い物かごからダイブし、見事にポールの上にて着地と同時にテレマークとは考えにくく、一高の前で電話がかかり、かごの奥のスマホを捜索する際、上にあったうどん玉を取り敢えずポールの上に。そして話し始めたら夢中になり、まんま立ち去る主婦さぬ子、あたりがこの悲劇の顛末だろう。

彼女が犯した罪は、香川県の麺積より大きい。




母さん、僕のあの白菜漬け、どうしたんでしょうね?ええ、夏、なんこやからベルクへゆくみちで、気がついたら落としていたあの白菜漬けですよ。



休日

posted by take at 09:57| 活動報告

2019年03月28日

偶然へともがく


『常識を打ち破る科学的発見は、偶然から導かれることが少なくない。だが、その偶然を生み出すには、失敗を恐れずにチャレンジし続ける、不断の努力で裏打ちされているものだ。「偶然は、強い意志がもたらす必然である」』

「ノーベル賞がつらかった」田中耕一が初めて明かした16年間の“苦闘”という記事の中の一文。

自らに重ね合わせ共感した人たちがシェアしている。



私たちの楽器の上達。ある日やってくる「価値ある新しい達成」への道程も、まさにこのことと重なって見える。

昨日までできなかったことがある日できるようになる。出なかった音が出る。わかってなかった理屈やノウハウがわかる。

全て偶然のように突然登場するが、同時に「積み重ねなんだろうなあ」と感じやすいことでもある。

「その偶然を生み出すには、失敗を恐れずにチャレンジし続ける、不断の努力で裏打ち」ということであれば、そこまでの日々のトレーニングで、いかに唇がもがき続けたか、ということに尽きる。


そう、何かしらの理想、それを求めて止まない欲求が、実は音を探しながらもがいている唇を一生懸命動かしている。まだ震えぬ振動、聞こえてこない音を目指して。

「これじゃない!!これじゃない……」と。ときには血の涙を流しているかもしれない。


するとある日、淘汰されたような結果をもって、新しい振動を私たちに与えてくれる。その瞬間にわかる理屈、必要な道程がわかることも多い。


自分にとっての新しい価値ある演奏。それは「我が常識を打ち破る唇における科学的な発見」だとして、想定タイミングで成されるものではないという意味で、偶然から導かれることが少なくないとも言える。

だがその偶然を生み出すためには、失敗を恐れずにチャレンジし続ける、不断の努力で裏打ちされている必要がある。


「偶然は、強い意志がもたらす必然である」


強い意志とは、今よりも素晴らしくという美しい理想をもち続け、苦悩ともがきへと振動していく、そんな種類の欲のことなのだろう。


理想なき取り組みは、辛きもがきを回避した分、新しい結果には繋がらないことは確かである。

自分を信じず諦めてしまった人は、言わずもがな。


N響練習

posted by take at 07:59| 活動報告

2019年03月27日

強い人


生き抜いていくのに結果逞しい心という意味で、「最も強い人とはどんな人か?」と問われたら、人によって、異なる様々な答えを出すだろう。



極めて相手の立場に立てる人



そう思う瞬間があった。


同じ人を見ていて

騙されて名誉を貶(おとし)められても、不本意に罵倒されても、自分以外の人のためになるなら、言い訳も真実の披露もせず影で受け止める人、とも。


N響練習

posted by take at 22:11| 活動報告