2019年02月28日

我が表現


【自己顕示欲。良いか悪いかをイメージすると悪者的に感じる人が多いだろう】


【人間ってもれなく、かくもさびしんぼなのかと思う。世の中で設定されていること、起こっている問題のほとんどは、そのことが根っこにあるのは明らかでしょ】



この二つは僕の主観だが、自己顕示欲とさびしんぼという性分は、実はセットだと思います。

さびしんぼであるから自己顕示欲が生まれてくる。

認めてもらい、たち位置をはっきり作り、周りと繋がりたい気持ちが強い人ほど自分こそを語り、アピールに励んでしまう。

そういう意味では、決して悪者ではない。

それを周りに「ウザくて困った要素」にうつらせてしまうのだとしたら、周りからの印象を察知、観察、理解する能力の有無の話になるのだろう。

それが無いのは、自己アピールの薄い人、黙ってしまって周りに距離を感じさせてしまう人、サービス精神はあまりもちあわせてない人たちの中にも結構な割合でいる。


周りとのコミュニケーションが面倒くさく、自分も関わりにいかないから、こっちもそっとほっといてほしいという人もいて、決して非難される人間性ではないが、そんな人も、まるで自分をわかってもらわなくてもよいわけではないのだなと感じたシーンをいくつも経験してきました。


またある若い時期「先生に名前も覚えられないくらい地味に過ごそう」と思う人もいる。そんな人は、自分の自己顕示欲の強さを無意識のうちに危険要素と感じたのかもしれない。(そういう自己回顧を聞いて、根っこはそうなのかもと思うことあり)



若者から年長者まで、欲望が解放されたように世界中がSNSに興じているこの十数年。そしてその表現の印象により、これだけ自己顕示欲と表現の歓迎、嫌悪がぐちゃぐちゃになっている時代も、大変に現代的オリジナル。 過去にはなかった状況だろう。


いずれの表現者も、自分がどれほどのさびしんぼなのかは自覚した方が良いだろう。

そして決して悪者ではない自分の自己顕示欲を、日常全てのコミュニケーションでうまく放つために、相手にも様々な欲があり、彼らが求めているものこそを理解しようとし、我が欲とハイブリッドさせることこそが大事だろう。


人生の達人たちは、素晴らしい自己顕示欲を存分に放ち、更に周りからそれを求められたり称えられたりしているように見える。


川越へ
僕は物凄くさびしんぼで、強力な自己顕示欲があってしまっています。嗚呼……

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2019年02月27日

大人だなあ


子供の中の子供は、その瞬間思ったことを思ったまま発言する。

そのうち、思っていることの大半は言えない子供も出てくる。

人生におけるコミュニケーション、その最初の壁を迎えたとき、自分を野放しでやり放題か、センシティブに感じてしまうか。

子供の表現の二極化みたいな。



思ったことの何割かがまんま言え、言わない方がいいと随時判断したことはだんだん言わなくなっていくのが大人。割合は人それぞれ。

しかしこの時代も、成功者と失敗者に別れたりする。

うまく大人になれない人は、言いたいことが周りから歓迎されないことでアウトか、言った方がよい場面で言うべきことが訓練不足からの理解不足で、言えずにアウトな方向へ。

二極化まではいかないが、徐々に反対側のベクトルへ向かう二つのグループのどちらかにいることになる。



そして本当に年をとって、大人の中でも大人になると、笑顔の積み重ねで額に横じわを蓄えた人と、不満の積み重ねで眉間に縦じわが張り付いた人の二極化へ。


実は縦じわの人は、子供の中の子供のまま一切変わることができなかったことに、本人以外は皆気づいている。

見事な横じわと共に、悩み成長し続けた人の生きざまのなんと素敵なことか。そんな人を


大人だなあ


と言って、周りが喜んで付き合いたがるのでしょう。


トロンボーン協会理事会

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2019年02月26日

忠県武公


埼玉で飲んでいて


ふと「翔んで埼玉」の話になり(ふとか?)、ふと盛り上がり(本当にふとか?)、最後に映画に登場し終幕には著名人たちも写真で登場していた


埼玉ポーズ


を、ふとやりながら盛り上がり、まんま帰りの駅のホームまでそのポーズをやり続け、なにか心の奥がシャキッとしながから盛り上がったのを感じたとき、もしかしたら、オリジナルポーズはこれからグイグイくるかもと思った。


ネタバレになりそうですみませんだが、翔んで埼玉では、隠れキリシタンならぬ隠れ埼玉県民が、皆埼玉ポーズをしながら巨大権力に連行されるシーンがあり、むーびー会館内は爆笑になっていたが、僕はポーズをしてまで忠誠を誓うその姿に心うたれ、気がついたら羨ましかったりしていたりらりらり。


もし「香川ポーズ」なるものがあるなら、僕は東京でこそやるかもしれない(嗚呼恥ずかしい)。

しかしそれをやった瞬間の銀座の夜、一緒に飲んでいた県民ばかりでなく道向こうから、駅反対側ホームから香川ポーズが返ってきたら、なんならまだ働いているらしいオフィスビルの遥か階上の窓からポーズしながら涙している人が見えたなら、背筋を正してポーズを返し忠県を示すだろう。


なんか、埼玉ポーズをエールのようにやりあったとき、今までにない生きざまの指針が脳天から貫かれた気がした。


ポーズ、好きなのだろうか。


川越へ

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2019年02月25日

恋は別腹別腹!


「人間に罪はない。悪いのは愛でしょ」


失恋した女性本人のセリフ。

落ち込んでいるのを慰めようとしてきた友人男性に思わず放ったもの。


初めて聞く相対、面白い価値観だなあと思いました。

別腹で恋しちゃって、本分がおろそかになり自分を粗雑にあつかったり、なんなら相手や周りに迷惑かけたりしても、


「悪いのは私という人間じゃないでしょ。だって愛のやつが勝手にわいてきただけでなく、きちんと冷静に正しく判断する能力もってっちゃうんだもん!」


と。


まあね、そうだよね。だから意外と恋愛者には皆寛大だよ、周りは。

かつての我が身は人のこと言えなかったりするし、なんたって「人の恋路を邪魔するやつぁ、犬に蹴られて」じゃないけど、愛を宿したやつにとやかく言うのは最高に野暮だかんね。


だから「忙がしいから」なんて言い訳しないで、


「恋に忙しくて、トータルでも忙しくて。でもあたしのせいじゃなくて愛のせいだかんね!!」


なんてのを、剣のようにかざしてみたらいいんじゃね?

ザ・人間って感じで。


休日
同じドラマの「おいしいものを分け合うと幸運が訪れるよ」というセリフも気に入りました。

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2019年02月24日

恋は別腹


芸能人なんかは多いかもしれないが、学生の話としても時々聞くのが

「付き合いはじめたのだが、お互い忙しく(スレ違いばかりで)別れてしまった」

というもの。あっという間に別れたというのもあるよう。

「お互いそこまで好きじゃなかったんでしょ」とか「ノリで付き合ったけど、結局そこまで必要ないってことじゃない」なんていう評論に行き着く人が多いが、僕はなんかとても残念で、なんだかなあって話だなあと思ったりする。


付き合う瞬間は本当にお互いを求めて、その後の幸せな時間を夢見てスタートするはずだが、結局お互いのスケジュールを優先し、会えない時間が続くと、どんなカップルであっても更に続けようという気持ちは薄くなると思います。

だって会わないんだから、二人でいる幸せを感じて、それをまた膨らませていくための素材自体がそもそもないんだから。最初の夢も時間と共にどんどん目減りするでしょう。


かつて、月に一回か二回しか会えないと言う楽聖にツッコミを入れたところ

「だって忙がしいんですもん!」

と答えが返ってきたことがある。


恋愛というのは、自分が忙がしくしている時間、学業や仕事してるということとは別腹にあるもんじゃないの?

その忙しさでたまるストレスを砕いたり、活動に気力を得るために二人で恋愛をして、喜びへと転じていくんじゃないの?

そもそも本能が優先して、他の時間とバランスとっていくものじゃないの?と思うのだが、どうも違うように聞こえました。


いずれにせよ、一度は好きになり「付き合おう」まで盛り上がり、その夜は最高に高揚した気分だっただろうに、翌日からお互い忙しくて、結局そんな時間が続き別れるという結論になるんだとしたら、かなり残念な気がします。

結局どちらかの忙しさに対し、相手が合わせなければ成立しないのかもしれませんが、やはり恋愛って


どんなに多忙でも別腹で入っちゃう。
いやあ、お腹いっぱいでも(時間いっぱい)どうしても食べたいんですよね!


ってものな気がしますが。

すみません、大きすぎるお世話で。m(__)m


N響名古屋公演

posted by take at 18:42| 活動報告