2019年01月16日

才能と努力


才能と相対的に語られるのは努力。


才能はないが努力で勝ち得た

才能はあるが努力をしないから結局花開かなかった

才能もあるし努力もするからあんなに素晴らしく



努力は理想からの意欲が引き出すものだから、それだけをピックアップして能力として語るのはあまり得策ではない気がします。

「才能はないが努力で勝ち得た」というのは、器用に短時間で結果に向かえる力は弱いが、とにかく望む理想が高く、それが諦めない根気強さを生み結果をだした、ということだと思う。

「才能はあるが努力をしないから結局花開かなかった」は、他の人より器用に結果を出せる能力をたまたま持っているのに、本人が望む理想がさほどのものではないし、なんなら他のことがやりたいため、そのための努力は義務的苦痛テイストで。

「才能もあるし努力もするからあんなに素晴らしく」は、成果と取り組みを見つめれば明らかにわかるが、望む理想があまりに高いことが、意欲も根気も工夫も知的考察も、そして努力も導きだし……


義務教育までと、それ以降の教育テイストは、現状よりもっと違いがあるべきだと思います。

ある意味本人の理想や意欲よりも、示されたものを身に付けるべく、努力しながら取り組むのが義務教育。それ以降は、まず当人の理想が育つことを最優先、最重要課題としてプログラムされている。

現状では、義務教育を膨らますかたちでしかなく、あまり変わっていないと思います。

そのときの社会が望む人間にもれなくなるべく、基礎教育としてなされるのが義務教育なら、それ以降は横並びではないやり方が骨子にあり、努力や一般的好感度などを学生に見たがるのではなく、その人がどんな理想を描き、それとどのように向き合っているのかこそを、最も望み育てるべきでしょう。


N響定期

posted by take at 10:14| 活動報告