2019年01月03日

極まる快感


僕は「明日から〇〇(肉だの魚だの酒だの)が一種類しか食べられないとしたら何?」みたいな話題で盛り上がるのが好きです。

各々が普段理解しきれていない自分を真剣に探し、それを訴えたり、アピールしたり、また他の人が言ったものと戦ったりするのを、自分だけでなく周りがするのを見ているのも楽しくて。飲食の好みなんて、嘘偽りになりようがないだろうし。


残りの人生で、あと一度だけ聞くことができるとしたら、誰の音?誰の演奏?

これを探しはじめると、昨年後半から感じている「いい音はたくさんあるけど、自分にとっても周りにとっても特別な音」までの到達に対し、やはり強い憧れがわくことと向き合うことになります。


バイオリンならあの人、ホルンならあの人、そしてトロンボーンなら……


誰しもが真剣に探すと必ずひとつピックアップできるであろうそんな特別に、自分が発するものこそがなりたい。


クオリティではなく、最も感性に好まれるもの。


食べ物屋でもそうだろう。あれこれ美味しいとこは山のようにあるが、「あと一食だけ食べられるとしたら、どこの何?」みたいな。

あれ?話戻ってる??食と音って同じ立ち位置?


きっと同じくらい、大事で必要で、本能のものなのでしょう。心を喜ばせる舌と耳への感触は、最期は理屈ではなく生理的快感へと。

そう、何が気持ちいいのかは本気で求めないと、凡庸なハイクオリティに留まってしまう。

ある意味断捨離的価値観に到達し、本当に聞きたい唯一無二こそをとの快感へ極まろうと、そんな音との向き合い方か。


正月

posted by take at 15:58| 活動報告