2018年12月07日

美しさの不平等


ある人が、大変に興味深い発言をした。


「高い音域の楽器は美しい音って言われるけど、中から低音の楽器は実はそういう印象にならない。美しく演奏できてても、いい音だって話になるよね」


フルートやオーボエは「美しい」とか「綺麗」とか言われるが、ファゴットは正直「いい音だ」と感じても「美しい」という印象にはなりにくいと言うのだ。

これは賛否両論ある意見だろうし、例外もある。

トロンボーン界に長く身をおくものとして振り返ると、たしかに「あの人の音は綺麗」と言うより「あの人いい音だね」と発言したことの方が圧倒的に多い。

ただそんなトロンボーンには、ミシェル・ベッケという例外がいる。彼の演奏を聴いた人の第一印象は、とにかく文句無しに「美しい」であろう。


僕はこの意見を間違っているとは思わない。ピアノを聞いていて、やはり高音域からはキラキラした美しさを感じても、たとえ同じように音が発せられていても低音域に同様のことは感じにくい。

もう少し深く感じてみると、いい音の内容も高音域と低音域では多少異なる気がする。低音域の方が、質感に対して感じる割合が高いのだと思う。


いずれにせよ、中低音楽器にとって、まず「美しい」と感じさせることは、実は難易度がとても高いことなのだろうし、演奏家の欲求も「いい音」の方へ向きがちだ。

ベッケのように、そのハードルを克服した音というのは、やはり特別な音として称えられるに相応しいものなのだろう。

顔のみならず容姿全てから圧倒的な美しさを感じる男性がいたとしたら、女性もまさに「顔負け」になるのかもしれない。

とにかく、美しくない高音域は論外として「トロンボーンをいい音で」もいいのだが、


トロンボーンこそ美しく


は、克服し甲斐のある山なのだろう。


N響定期

posted by take at 16:52| 活動報告