2018年12月16日

感謝と謝罪


感謝を教えるのは大事。同時に謝罪を教えることの重要性を、ここ韓国で感じるきっかけがあった。

胸を張って誇らしく、雄々しく生きることと、自分が犯した罪、もっと言えば自国の先人が犯した罪について、きちんと理解することから謝罪の心を学ぶ必要があると。


僕は永らく、生きるためのプライドや感謝、それと「謝ることができること」ということは、分けて考えてきました。

しかしプラスとマイナスは、やはり同じだけ持ち合わせてなくてはいけないと気づかされました。


「謝らなくてもいい時代」はとっくに終わっているし、年長者こそが謝らなくてもいい雰囲気で生きる時代の終焉は“明らかに”きています。


ただ謝ることは、特別に独立したことではなく、反対側にある誇らしく持つプライド、自分のアイデンティティーの擁立に、実は必要な要素として、幼少の頃から正確に知り、それに対する真摯な謝罪の気持ちの必要性を宿すべき。そうしてはじめて身近な周りと、更に世界中ときちんと付き合えるのではないでしょうか。


生き抜いていくことに必要なたくましいプライド、そして感謝を宿すことがプラステイストなら、この「正確に罪を理解しきちんと詫びること」というマイナスがセットとしてはじめて成立するのだと、確信を持てる夜になりました。


釜山の旅

posted by take at 09:16| 活動報告

2018年12月15日

独特な日本


日本は良くも悪くも独特な感性で生きている国だと思う。

西洋とかなり違うのは当たり前ですが、アジアの近隣の国と比べても、意外に(私たちは日本はかなり欧米の文化が入り近くなっている気がしています)意固地な日本らしさは、実はいくつも語ることができる。

実は、アジアの近隣の方が西洋っぽいと思うことは多い。

ベトナムに思ったし、今来ている韓国には、なぜかそう思わされる。


日本人はいったい何なのか。

実は日本人が最もわかってないふしがあるが、近いのに遠い国に来ると、結果一番わかる気がします。


そんな日本が大好きですが、同時に独特であることも理解した上で、我が価値観で世界を生きていきたい。


リップル練習、釜山へ

posted by take at 09:15| 活動報告

2018年12月14日

美しきペルゴレーシ


今年最期のソロリサイタルズ、楽聖たちは集中力の高い演奏を披露し、1ヶ月間の成長も感じられる嬉しいものだった。

ペルゴレーシのファンタジアを選んだ者がいた。

かのストラビンスキーを、リスペクトからのプルチネラへの創作へと導いた音楽。

それだけ美しさと魅力に溢れている。

考えてみたら、大半の名曲はその立場に選ばれてはいない。直ぐに思いつくのはシェーンベルクによるバッハやブラームスの編曲だが、偉大な作曲家をその意欲へと向かわせる魅力とは、実は特別なものだろう。


楽聖の演奏は大変美しく、本人の反省の弁でもあった「思い入れムラ」は多少感じたにしても、好きなフレーズに対する息やビブラートのチョイスは、やはり嬉しさをもって伝わってくる、表現の悦びに溢れたものだった。

ピアニストの名演もあり、ピアノのパッセージ、響きもとても透明度の高い清楚な美しさに満ちていた。


20代でリサイタルで取り上げたときのことを、ふと思い出した。

忘れていた憧れである。


川越へ

posted by take at 18:58| 活動報告

2018年12月13日

あひる未遂


40代後半男性うちなんちゅに「食べ物、明日から一種類しか食べられない」を聞いてみた。

果物はマンゴー

魚はグルクン

麺はそば(多分沖縄そば)

野菜はパパイヤ

と来たので、肉は当然あぐー豚、もしかしたらヤギか?と思ったら


「あひるを食べましたね。お祝いのときに飼ってるのを絞めて」


ときた。


あひるですかあ〜〜〜


ということでググってみると、那覇市内にも一軒あひる汁を出す店ありとのこと。うちなーの楽聖たちはほとんど食べたことないと。これは歴史的レアな沖縄グルメかっ!?

午前中の金管五重奏のレッスンも終わり空腹の絶頂の中、「お昼にあひる…」という僕渾身のギャグに楽聖たちの失笑をかいながらも、うちなーの楽聖といざ探検!!どうしよう、あひる食べちゃったら、芸大と首里城の間の竜潭池に生息しまくるバリケン(図々しい鴨)から襲われるようになったら……


結果を報告すれば、店があった場所は広大な工事現場と化しており、あひるはおあずけ、食べられなかったのでした。グワッ☆


沖縄県芸レッスン
ちなみにお酒は泡盛って言うのかと思ったら「日本酒、しかも甘口」と。パパイヤとグルクンつまみに日本酒かあ。

posted by take at 13:54| 活動報告

2018年12月12日

特別でいたい


いい音を出す人はかつてよりかなり多くなりました。上手く吹ける人も。


ということは「いい音を出したい」「上手くなりたい」という漠然としているともいえる希望というのは、かなり広いフィールドであるあちら側へ行きたい、ということになる。


僕は、楽聖たち含め、この漠然とした目標ではなく


「特別でありたい」


という希望を持つことが、とても大事だと思っています。

それは、マニアックでありたいとか、とにかくみんなとは違うことがしたいみたいな「意固地・頑なテイスト」という意味ではなく、自分の希望が、具体性をもって突き抜けていた方がよく、漠然としたフィールドを目指すのではなかなか伸びないのではないかと思うということです。


たとえば音に関しても

とにかく物凄く柔らかく吹きたいとか、とにかく艶々に吹きたいとか、とにかく美しい響きで吹きたいとか、何か具体性を欲して邁進していることが大事。それは誰にも負けない、自分はその点で特別だという存在になりたがってほしい。


それは決して人から馬鹿にされたり軽蔑されたりするメンタルではないし、現代がこう進化してきて、未来へ向けて裾野がクオリティ高くなっていっている現代とこれからだからこそ、本当にそう思うのです。


日本人は横並びがちとはいえ、一線で活動している人は多かれ少なかれそうだし、未来を変えていくほどの人になれば、確実にそんな野心を野心とも思わず当然のように生きているはずですから。


沖縄県芸レッスン

posted by take at 21:08| 活動報告