2018年11月18日

今をどう連ねるか


私たちがみっつの時間を方向で感じるなら、過去から現在、現在から未来へと言う人がほとんどだと思うが、チベット仏教では未来から現在、現在から過去へとその矢印が向いていると聞いたことがある。


自分の未来がどうなっているのかを予知できる人なんて一人もいない。

どうなってしまうのかは、絶対わからないのが未来。

夢が叶ったと言える現象も、「思い続けた」「それが現実になる程度の能力があった」「それに相応しい努力をした」という辺りの条件があったり無かったりするのだろうが、しかし全て結果論(結果を論じている)だけであり、未来の自分の状況が、たった今わかる人なんて一人もいない。運よく自分にやってきた成功を、自慢しているだけ。


ということは、未来の自分をわかろうとしたり、どうしてもそうなっていないと今がとても不安になったりするのは、全く意味がないこととなる。


ただ「未来を考えず、今を一生懸命生きろ!」と言われても、それだけじゃ幸せにはなれんだろという気分になる。



過去、現在、未来を見つめてみる。

過去というのは、懐かしんだり、そこから学ぶものだったりするが、今と今からに影響を与えるだけのポテンシャルは低いので、実はあまりピックアップして価値を感じなくてもいい。つまり、過去を振り返ってもあまり意味がない。

現在と未来は密接に関係性がある気はするが、現実的な話をすると全く不確かで、絶対的な確率は存在しない。今こうしているから未来は絶対こうなると信じても、次の瞬間事故で死んでしまうかもしれないのだし。


ただ、過去のために生きるのは無意味なら、いつのために生きるのかと言えば、実はたった今のためというよりは、未来のためという理由の方がいい。

それも、五年後、十年後のことは“ほんと〜〜〜〜に!”どうなっているのか絶対わかりようがないので、もう少し近々のプランで。

数ヶ月後の本番のために今練習をする、なんてのは長大なプランニングな方。今昼寝をしてしまうのは、起きた後体力が戻っており、元気に活動できるためなんてのでもいい。今眠いなら、渾身の力を込めて(?)精一杯寝るべきだ。


常に、ちょっとした未来、まあまあ先の未来に対して等、様々な未来に対していくつかプランをもっている。そして、そのことのために今これをしようとする、これをする、これをしてしまうという「目的とした意識」で生きるのが、現在の生き方として一番良いのではないだろうか。


話は変わってしまうようだが、10才には10才の、20才には20才の脳というのがあると思う。30才には30才の、40には40の、50には50の考え方、能力とでもいうか。

年相応の脳で生きているなら充分良いのだろうが、人生がうまくいく人を見ていると、20才のときに25才的な考え方で生きているように見える。

実はうまくいかない人は、20才のときに15才の脳で生きているように感じることがある。

30才が35才の脳か25才の脳なのか。こんなところにも、過去、現在、未来が見えてくる。


過去から学べない、未来のプランがまるでないくらい今の快楽に進もうとしたら、実は長い人生の「今」はだんだん辛いものになるだろう。


自分の未来が予知できる人なんて一人もいないのだが、ちょっとした目的と出会える意欲くらいは持てていたい。

その積み重ね、連なりで生きていければ、それで最良な人生になる気がします。


N響いわき公演

posted by take at 17:56| 活動報告