2018年10月01日
演じることと自分
極悪非道な人物を役者が演じたとして、本人が本当に酷い人間だというイメージにはなりにくい。
どんな人なのか詳しくイメージがわくわけではないが、しかしどちらかというと悪い人間ではなく良い人間なのではないかと思いがち。
極悪非道役は、好んでやりたがらないだろう、それを引き受けるんだからという、勝手な思い込みがそうイメージさせる。
たとえばある役者が聖人君子のような役を演じられたとしたら、その台詞や行動から、人としてどのように考えどのような判断をし、どのような言葉を使い振る舞えば良いのが物凄い勉強になるだろうし、役作りまでしてなりきろうとするのだから、そんな経験ができない大半の一般人より、素晴らしい人になりやすいのではないかと思う。
しかし悪役が必ずしも悪人とは限らないように、善人をやれば善人になる、優しい人を演じれば優しい人間になれる、そもそもそうだからその役がきているとは限らないと思います(あくまで勘ですが)。
ドラマや映画を観ていて
ここまで素晴らしい人物を、見事な脚本と演技力で感動的なまでに魅力的な人格者として表現できているし、感心と尊敬の念もって伝わってくる
と思って、ふと
じゃあこの役者さん、自分は違うタイプだとしても、この役柄の人格と同じように生きれば、少なくとも学んで真似して生きれば、素晴らしい人として生きられるわけで、人のふり見て我がふり直すのが難しいこともあり、演じられるというのはあまりにもラッキーなことで……
と思うのですが、実際どうなんだろう?
必ずしもそうはいかないとしたら、人間の根本って、本当に変わりようがないんですね…となる。
川越へ
今度、りささんに聞いてみよう。
posted by take at 14:09| 活動報告