2018年10月26日

本日の確言


真の教育とは

次の瞬間、今日、明日、理解したり出来るようになることを指し示すのではなく、生徒が遠い将来幸せになれる、そのための方向の中から、ほんの一粒のアイデアを放つことである。

人間がすることもするべきことも、全てのことは「幸せに生きていく」というたったひとつの絶対理由の中で、もれなく繋がっている無数の塵のひとつでしかないのだから。


アンサンブル練習、川越へ

posted by take at 10:29| 活動報告

2018年10月25日

本日の確言


『教育とは釣りのようなものである』


投げて、信じて、待つ


川越へ、N響定期

posted by take at 10:06| 活動報告

2018年10月24日

自分の


頭の中に浮かび上がる言葉。失ってしまいたくないものであれば、こぼれ落としてしまう前に活字にし、このブログにでも残したいと思う。思いはするのだが……



グループ絵画公募展を見る。

出展作は巨大なものばかり。広い展示室に入った瞬間、壁を埋め尽くす威圧感たっぷりの絵画たちに、空間をガッツリ占める油絵の具から発せられるそのエネルギーに圧倒されない人はいないだろう。

いくつかの部屋を歩くうちに、とにかく個性の模索からの創作、過去に無き個性を高らかに叫ぶことにより評価を得ようとしていることは理解できた。

同時に経験値の少ない僕には、重めで暗め、おどろおどろしいともいえるエキセントリック、強烈なエネルギーの作品が多いことに興味がわく。

公募展も数あり、出展作風に傾向もあるようだが、それでも「日本人はこれ系なのかなあ」とか「こういかないと認められない風潮なのかなあ」と感じる。


画家本人は、本当に自分が見たいものを描いているのだろうか?


たとえば自分の創作に対する記憶を消されたとして、画家本人がこの出展作の中から一作選ぶことになったら、本当に自分の描いたものを選ぶだろうか

実は個性を感じながらも、同時に似たようなものが多いことにも気付く。現代音楽と言われているものに感じるのと同様に。

現代では、絵を描くというのはこうでなければいけないのかなあ

そう思いつつ、続けて東山魁夷展に入場する。



その一部屋目から、涙がこぼれ落ちそうになるくらい身体中が震えた。


言葉にはならない。ただただ心が感じる穏やかさと美しさ、柔らかさ。


ひとつだけ……今まで感じたことがなかった価値観が言葉になって浮かび上がる。


このような絵を「自分の絵」だと感じるのだろうか


あくまでも鑑賞者としてである。

それならば演奏も、聞き手が「私の演奏だ」と思ってくれれば成功なのか


東山魁夷画伯の絵には、僕の心情こそがそこに描かれていると勘違いできるような、そんな人生のノスタルジアに溢れていたのでした。


N響定期
それでも、こぼれ落として失った数々があるからこそいいのだろうか

posted by take at 16:16| 活動報告

2018年10月23日

洗顔宣言


僕は帰宅したとき、うがいと手洗いはしていたが顔は洗ってなかった。

「洗った方がいいよ」と家人に言われ今後は洗うことに。なぜかはわからないが


「五回は洗う!」


と宣言していた。5回はバシャバシャやるという意味です。

今まで運動やトレーニング以外で、回数を決めてスタートしたことはない。決めないと、適当にチャッチャッとやって済ませ、意味がなくなると思ったのだろうか。

ただこの宣言と共に始めてみたら、なんだかスムーズに習慣づいた気がします。帰ったら「よし、5回洗おう!」。内容よりも5回と。

結構酔っぱらって帰っても、ちゃんと5回をやっている。しかも適当に5回ではなくちゃんと5回。洗い残しないように。

化粧を落とす女性なら当然だろうし5回どころじゃないだろうし。


ちょっと習慣化のパターンが面白いなと、新しい自分を知った気がしたのです。


N響定期練習

posted by take at 18:30| 活動報告

2018年10月22日

平成最期の奇跡


マエストロ・ブロムシュテットとは、それこそ27年のお付き合いである。

そんな巨匠のギャグを初めて聞けるなんて、僕もマエストロも長生きしてみるもんです。


「練習番号11の7前から……セブンイレブンだ」


少し間を置いてから、オケマンから爆笑がおこりました。

内容が微妙だったのではない。全ての楽員、いやN響の歴史において想定外過ぎたのです。


N響定期練習、大塚へ
誰一人オヤジギャグだと思わなかったのは人徳か、そもそもオヤジではない91歳なのか!!

posted by take at 20:39| 活動報告