2018年08月18日

隔世の感


9月のリサイタルツアーでやるオリジナル、マルタンは1940年、ヒンデミットは1941年、昭和でいうと昭和15年と16年、戦時中の産物である。(ディズニーでいうとファンタジアが1940年、ダンボが1941年)


どうしても、当時の日本はどうだったのだろう?と比べてしまう。

あくまで推測でしかないから大変乱暴だとは思うのですが、しかしトロンボーンの技術は、物凄い差があったのではないかと思ってしまいます。

ボレロの楽譜を初めて見た日本人が「1オクターブ間違えてるんじゃないか」と言ったという話がある。 1928年に作曲され、日本で初演されたのは1931年。


ヒンデミットは難易度こそ低くないが、音域的には下のEからハイB♭までと、教則本にあるような良識の範囲内。

しかし一年前に書かれたマルタンは、ジュネーブの国際コンクールの課題だとはいえ、ペダルのB♭からハイDなまでだけでなく、短時間にスタミナを消耗するような書き方、難易度の高いスライドテクニックやレガート、リズム、ピアノとの絡み等、飛躍的に技術が向上した78年後の現代でも大変に厄介な作品。

これが生まれたのが昭和15年なのだから、ヨーロッパには当時既に想像以上の高い技術、教育があり、何よりこれが演奏できる名手がいたのだと思う。


日本はどうだったのだろう?


おそらくだが、当時の日本人がマルタンの楽譜を見たら、全く信じられない、狂気の沙汰のような書き方に感じたのではないだろうか。



実は、日本の先人たちのレベルをどうこうというのが言いたいのではありません。

トロンボーンを生んだヨーロッパの進化と当時の日本には、これまた今では考えられないくらい距離や壁があり、レベルではなく彩られていた文化の内容、スタイルがものすごく違ったのだと思います。

西洋に渡り、目の当たりにした人の驚愕、憧れや現実からくる落胆や絶望、それでも逞しく未来を夢見る希望等、様々なシーンがあったのだろうと想像できます。


経った年月を長いと感じるか短いと感じるかはそれぞれだが、現代は絶望よりは希望こそを持てやすいような情報と現実の流通。あまりに明晰である。

故に西洋発のアイテムでも、日本人が高いレベルまでたどり着きやすい環境です。


ヨーロッパやアメリカと比べ、他人と比べるのもいいが、自分の心にある喜びと素直に向き合い表現しても、決して陳腐ではない時代。

やはり幸せな時代だといえるのだろう。


あとは、自分がどう努力できるかだけにかかっている。


川越へ、ジパング

posted by take at 12:47| 活動報告