2018年08月04日

謝れない


思い返してみる。

いろんな知り合いの一場面。その人が謝っているシーンが記憶に全く出てこなかったとしたら、実は謝れない人の可能性が高い。


この資質にもレベルとも言える段階がある気がしています。



いかなる場合でも、起こってしまった不幸の原因が本当に自分にあると理解できたときに、白旗を揚げるようにわが罪を認め、素直に謝罪できる


突発的に起こったことでどう考えても非の所在が自分だと明らかなこと、たとえば自分の大きな荷物が相手にぶつかってしまったとか、こぼしたものが相手にかかったとか、そういうことは謝れるが、時間の考察の結果やはり自分の過ちであることがわかった場合は謝れない


とにかくどんなことが起こっても、謝らないし謝れない


番外っぽいが、実は悪くないのにすぐ謝る人もいたりする。口癖にしてしまっている人とか。ただ、その人が心底謝っている場面は思い出せないこともある。

「とにかく謝っときゃいいんだよ」って発言した人も思い出されるが、これはもう番外の論外。



謝っているシーンが、いくら巡らせても思い出せない多数の人は、Bの可能性が高い。そしてトータルでも何気に多いかもしれない。


昭和初期までの日本の価値観だったり、欧米の「謝ったら負け文化」ではない現代日本において、実はAでいなくてはならないことは誰にでもすぐに理解できるが、実はこんなことすら困難なくらい、人は無駄に我が身を守ろうとする邪心から逃れられず、勇気を振り絞る誠意が心に持てるには、経験と成長が必要なよう。

子供時代に見つめること、親の日常での目前での誠実なる表現、本当に我が子の幸せなる未来を願うが故の貫き通った教育がなされたかどうかが、大きな影響になっているのは言わずもがな。



ただひとつはっきりしているのは、周りが羨むような人、尊敬され愛されもしている幾人かは、もれなくAである。

皆さんの周りでも、そうじゃありませんか?


自分の愚かさ、判断ミス、能力の低さ、我が身かわいさなどから起こしてしまったことに対して、まずは謝ることをし、許しを貰い、償いをするべきであり、それこそが勇気だったりする。

そんな誰もが幾度も起こしてしまうミスの場面になったとき、自分の情けなさや恥ずかしさより、相手の不利益こそを申し訳なく感じ、自らを完全にフラットにするというスタート地点に立てる。

そんな人が、結果周りから認められている。


謝れない人は、実は周囲が笑顔で付き合ってくれていたとしても、そこに立てない情けない人だと評価されていることに、気づかなくてはならない。


N響、川崎公演

posted by take at 10:52| 活動報告