2018年07月29日

顔と声


昨日の宇梶さんの言葉からあらためて……


人は、相手が話している内容やその人がする判断から人間性をはかるのだろうが、自分に対する愛情の存在は、その表情や声のトーンからこそ感じていくのではないでしょうか。

話す内容や判断は、人間的成長と共にヒューマンな方向(良い人間と判断されるような)へと変化していく可能性は大いにあるが、話しているときの表情や声色となると、逃れようのない自分の性格から醸し出されるものであり、実はコントロールなんかはできないのだと思う。

「嫌われないように」「好かれるように」「善人だと思われるように」「魅力的な人間にうつるように」「愛情に溢れた人だと思われるように」

どんなに注意深く演じても、台本があり演出家がいる役者ではないのだから、自分の真実分が出るばかり。

実は出ちゃってて、周りからは真実分しか評価してもらえない。

判断アイテムになる表情と声色は、自分に内在している徳の量からは逃れられないのだと思います。


宇梶さんも聞く耳がある素直さを持っていたからだとは思いますが、強く叱りながらも引き寄せていった菅原文太や美輪明宏、渡辺えりさんたちの表情や声のキャラクターからは、まさに身近な人への関心と愛に溢れた人間なのだという徳が滲み出ていたのでしょう。


もし「良い人間、善人、愛ある人間、徳の高い人間」だと思われたいなら

他人に対する関心と、時には自分を二の次にして心から相手を愛することができる

そんな資質を心に持っておくしか方法はないでしょう。


顔と声には自分の善良だけでなく、卑しさも全て出てしまってるのだから。


福山へ
人の悪口を言うとき、嬉しさと悦に入った表情が出てしまっている人も、自分では気づけていないのでしょう。

posted by take at 15:15| 活動報告