2018年07月24日

うるさい成分 その2


N響のトランペット奏者たちと「うるさい成分って何か」について意見交換してみた。みんなでいろいろ考察し、やはり吹き始めの時間が大事だろうということは一致した。

とにかくストレスをかけない状態で音が出る、つまり大きな音で吹くのではなく、細やかな振動を目指すべく丁寧に吹き始め、力みの排除を目指さなければならないと。

そうやって「いい振動」が獲られるまでの時間についてだが、日によって唇の状態は違い反応の良し悪しも様々なので、何分やれば良いと決められるものではない。

理想の振動、息の流れを頭の中に描きながら、そうなれるまでは決して強く吹かないという、根気はいるけれど、そう転換すれば自分の音に対するモニター力、振動に対するモニター力もグッと上がる取り組みになるはず。


この、うるささや全体の響きの魅力の乏しさ、硬さ、ゆくゆくは技術に対する影響まで、実は


「吹き過ぎ」


というのが原因になっていると知っていたい。これは時間の話ではなく、強過ぎ、力み過ぎというアプローチの話。


ジョー・アレッシもアジアにおけるキャンプにて「皆吹き過ぎだ」と熱く指導していたようだが、僕も長年そう感じている。

結局、大きな音ではなく強い音になっている。それが「うるさい」の要因である。


僕自身が長らくそうだった。

若い頃、欧米の素晴らしいオーケストラやソロの演奏を客席で体験した時、ホールを包み込むような響きや、スピード感溢れて飛んでくるそのサウンドの魅力に、幾度となく痺れていた。

それを手に入れる練習において、力業にしかイメージがたどり着かず、吹き過ぎるというアプローチばかりしていた。そんなうちは結局「うるさく鳴る」ばかりで「美しく豊かに響き渡る」ことにはならなかった。


取り組みの理想、それは常に段階と共に考えるべき。

常に小さく吹く、何分小さく吹くではなく、うるさくなくなるという理想を描き、そこを目指して吹き始める時間帯にいかに自分をコントロールできるかという能力こそ不可欠。


そんな時間帯、とにかく『吹き過ぎ注意!!』ということだけは確かだ。


そうやって唇や頭がスムーズになったあかつきには、きちんと大きな音のトレーニングはやるべき。小さい方にだけに片寄らず。

そんなフォルテにも、スムーズな息の流れからのうるささの排除がなされていれば、実はそんなに吹かなくても結果巨大な響きになっていて、ホールを包むサウンドが実現できているはず。

そこには、ギャーギャー騒ぐ安っぽさはなく、巨大な威厳、神の説得力のような世界があるはずなのです。

人間は最後は演奏に、庶民ではなく神こそを見たいのだ。

なぜなら、演奏を与えられる私たち聴衆こそが、日夜うるさく騒ぐ庶民であり、そのみっともなさは充分にわかっているのだから。


N響下関公演

posted by take at 10:18| 活動報告