2018年07月20日

一生懸命らない


演奏とは、聞き手に「一生懸命吹いている」と思わせたらアウトである。

そこには、目指すべき安定感からの、不可欠な安心感が欠如しているから。

具体的には、力みや不均一、ミスや緊張感たっぷりのビジュアル等が存在しているのでしょう。


その中で、特に管楽器奏者が陥りがちなことがあります。細かい音符に顕著なのですが、


「全ての音符を一生懸命吹いている」


という印象になること。これは、数ある一生懸命の中でも特によろしくない結果。音楽的な表現こそを目指すため、是が非でも避けたいことなのです。


特に金管奏者なんかは「外れない」からの「つぶが揃う」からの「全てが均一ににクリアーに聞こえる」を目指しがち。

トロンボーン奏者になると、更に「タンギングとスライドの合致」ということに強い意識が生まれ、気がついたら「全部の音を一生懸命吹いている」という結果に。

たとえ外すことなくミスもなく、リズム音程バッチリであっても、一生懸命感に繋がるなら、必要以上な強い舌や力みがあるということになっているのでしょう。


それが高いクオリティに感じても、実は音楽的には陳腐な結果になっている。

楽譜上の音符たちは決して平等ではないと意識することは、とても大切なこと。

そうやって初めて権力の縮図の理解という難題、理想的音楽像への難問の扉を開くことになる。一生懸命音符を並べているうちは、まだまだ幼稚な取り組みとなる。

そうやって主役と脇役、足軽から殿様、一般市民から真の権力者までが登場し、大人の音楽世界になるのですから。


N響練習、川越へ
そういえば、アリの世界も大半は働きアリでも必ず女王はいるし、誰かが過労死したら、必ず働かなくなるのが自然と登場するんでしたね。

posted by take at 10:56| 活動報告