2018年07月04日

関心


人間として、というか生き物として生をうけた以上、自分自身に関心のない人はいないと思う。全ての人が、自分のことには言葉や数字で表せないくらい興味も関心もあるだろう。

「自分ですか?まあどうでもいい方ですね」とか言わず、それはそれは驚くほど興味があるということは、実は自覚していた方がよいのだと思う。

当然だが、自分にガッツリ関心があることは悪いことでもなんでもない。当たり前のこと。


どんな仕事ができてどれくらい成果があげられる能力があるか、そしてお金が稼げるか。若者たちは特に自分の未来に関心があるだろうが、この力とは別に、人間性の評価こそが、最終的に人生の財産として幸不幸の分かれ目になったりする。

どんなにお金を持っていても、たくさんの人と付き合っても、最後はペットしか信頼できないという人はいるし、万人が羨むような能力で有名になっても人間性の悪評で蔑んで見られたりもする。

「最高の財産は人である」と信じられれば、その人たちの好意的評価こそが、最後は幸せをもたらしてくれると分かるはずだ。


人間性の評価、それはあくまでも周りの人がする査定。

そのいろんな要素の中で最も影響力をもつ資質は、自分以外の人にどれくらい関心があるか、そして自分に対する関心と、どのようにバランスがとれているかが根っこにあるのだと思います。

「人が好き」「自分オンリー」と分かりやすい人も多いが、実はそうでもない人もいる。

社交的で明るく優しく接する人でも、実は自分にしか関心がない人もいたりする。

口下手で、あまり多くの人とは付き合わなくても、実は自分だけでなく、周りの人に関心がある人もいる。

前者は、自分の喜びや幸せの優先のために、言動が結果周りを利用しているだけという場合が多い。

本人はそのことを悪いとは思わない。とにかく自分が優先されなければならないし、周りの人のそれには興味がないから、当たり前に思い、そうではない他人を優先している表現と違っていることには気づけないだろう。そもそも自分と周りを比べない可能性も高い。

更に能力に長けていたり、社会的立場含め実力者だったり、そして話しが上手かったりなんかした場合、周りもその人を立てることが多いので、利用されていると気づけないこともあるだろう。


自分自身が能力として持っている「関心をもつ」という力、それが自分だけか、プラスそれ以外にも向いているか。

それは先天的だったり育ちだったり、子供の頃から定まっていたりするのでしょう。

社会の荒波の中で長く生き半世紀も過ぎていくと、大抵の人は角が取れ丸くなっていく。それなりにもめないような話術や相対し方も覚え、無駄に喧嘩にならなかったりもしていく。

しかし、この周りに関心があるかどうかは、結局若き頃からの資質のまま変わることはないようだ。


話したがる話題がどのようなタイプのものか、ある題材についてどう語りたがるか辺りで、この資質は見えてくる。

優しい口調でもあまり相手にたどりついてなさそうな人、直ぐ自分の話しになってしまう人、情が深そうに表現するが結局自分のそれに酔っている人。

自分をほったらかしで人の面倒ばかり見ているなんてパターンもあるが、それもそうしたい自分ばかりが内在しているという人、つまり相手には実はそこまで関心はないという人も多い。


最終的には、日常的に何についてどう語っているか、それを感じている周りの人の評価、その多数決で結果は決まるから、自分が操作できることではない。

ただ

「自分にだけ関心があり他人には無いというのでは、結果さほどの幸せしか手に入らない」

と理解しておくくらいしかない。


我が関心と社会との関わりの自覚、バランスを保つことが、人間として努力すべき最大の課題なのだろう。


ジパング

posted by take at 10:58| 活動報告