2018年06月18日

1日3時間で10年、9時間で3年


最近は『才能』について、有無だけで片付けない、科学的な研究もされているのだそうです。

ある研究結果によると

「学問でも芸術でもスポーツでも、世界レベルに達している人には、本人が自覚するしないに関わらず1万時間のそのことについての練習や努力を費やしている」

と。マルコム・グラッドウェルという人が、その著書に共感しやすい内容で説いています。


【一万時間より短い時間で、真に世界的なレベルに達した例を見つけた調査はない。 まるで脳がそれだけの時間を必要としているかのようだ】

【「練習をせずに天才的才能を発揮する人」も「いくら練習をしても上達しない人」の両者もいなかった】

【モーツァルトは3歳から練習をはじめ、5歳で作曲した頃には、既に3500時間以上の負荷をかけた練習をしていた】

【モーツァルトは、高く評価されたピアノ協奏曲ジュノム(K271)を作曲したのは21歳の頃。作曲を始めてから傑作を予に送り出すまで20年以上かかっている】

【不世出の天才モーツァルトでさえ、本来の才能を発揮するのは作曲時間が1万時間を過ぎた後なのだ。訓練は優れたレベルに達した後ではなく、優れたレベルに達するために行われる】


またこんな言葉も。

【千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を練とす】

これは剣豪宮本武蔵の言葉。

「鍛錬の鍛とは千日の稽古、鍛錬の錬とは万日の稽古」を言うのだ、と言っているのだそう。

これを時間に換算すると、毎日3時間の練習、千日の稽古で3千時間、万日の稽古で3万時間となります。

「1万時間の壁を突破せよ」と言っているグラッドウェルと同様の意見だと理解できる。


1日3時間で10年、もし1日9時間頑張ったなら3年、万の時間を経験した時に、それまでの努力が「才能」となって開眼するのだと言っているよう。


信じるかどうかは人それぞれだが、実は「結果かなりの時間積み重ねたからできるようになっている」ということは多い。

私たちの記憶はとても曖昧で、「そこまでの時間経験はしてないよなあ」と、過去の自分の時間を短く見積もっていたりもする。


自分の未来、どこまでどれだけやれるのかは常に未知数だが、でも思ったより長く経験してきた今までの積み重ねこそが、夢を叶えるための、自分の持ち物としての宝なのなら、一心不乱に長時間を目指すのは間違った方向ではない気がします。


本当に手にいれたかったら、自分の時間を鍛練として夢中になって過ごすのだ。


夢中なゆえにあっという間に過ぎるのだとしたら、あっという間に一万時間目はやってくるのかもしれない。


N響練習

posted by take at 19:56| 活動報告