2018年06月30日

CMなぜ?!


ふたつほどあるんです。


ひとつめは、なぜファブリーズのCMに松田聖子が出ているのか。

僕は特別なる聖子ファンではないが、だがしかし聖子ちゃんが他の女性芸能人とは一線を画しており、アイドルの時代から(今もアイドルかっ?!)現在に至るまで唯一無二の存在であり、今までもこれからも聖子ちゃんにとって代わる人は出てこないだろうことが国民の総意であろうことは、容易に想像できている。

そんな聖子ちゃんだから、昔はポッキーやグリコから始まり化粧品だったり下着だったり、紫外線対策だったりたかの友梨だったり、まあ眼鏡だったり車だったり……わかるんすよ。

しかし、ファブリーズを持って現れた瞬間



あかんやろー!!聖子ちゃん!!!ファブリーズはあかんやろー!!!!

そこは修造あたりがやる仕事やがなー、聖子ちゃんはあかんやろー
!!!!!!


と大声で叫んでしまったのです。起用したらあかんし請けたらあかん。そこはあの晴天灼熱庭球男が長年、ほんまにらしくイメージ作り上げてきたフィールドやから、そういうカテゴリー&立ち位置の人がやるもんですわ。聖子ちゃんに汚れたもの(をキレイにするもんですが)やらすこと自体あかん。イメージだけやなく、やったらいかんクラスのお方。

旦那に選ばれた遠藤憲一さんは、そらキャリアの中に輝く☆がついて嬉しいでしょうが。☆聖子ちゃんの旦那☆はそら誇らしいやろね。



もうひとつは、アイリスの低温製法シリーズ生鮮米パックご飯。

こちらに前川清とクールファイブが出てくるのはなんの疑問もないのだが、びっくりするのはバックに流れる音楽。

シューマンのピアノ協奏曲の冒頭からしばらくが、とにかく劇的に。

お米が衝撃的に美味しいと伝えたいのかもしれないが、喋っている前川さんのテンションはまるで普通、というか落ち着いており、製法とプレミアム感を伝えたいのとのギャップに、何度見ても


なんでやねん!


と。しかも、ピアノが終わりオケのセンチメンタルエスプレッシーヴォまで突入しており、ますますわけわからん。

シューマンエスプレッシーヴォの画像が、パックのごはん


わからん!


休日

posted by take at 15:46| 活動報告

2018年06月29日

コーラ


八代目中村芝翫、元の橋之介さんですね。三田寛子さんの旦那ですが、同じ昭和40年生まれとのことで、同世代ならではの共感もありながら見つめていますが、テレビでなんか言うとる。


「コーラが好きでたまらない」


あー、この人もたまにいるコーラーなのね。


「コーラを発明した人はホント天才だと思う。舞台にでる直前まで飲んでます」

そーなんだー、コーラでエネルギー溜めて歌舞伎かあ。

天才とまで言わしめるくらい好き好きマックス。好きな人は本当に好きですよね。ここまで好きなら、あれこれリスクもある飲み物と知った上で、流石に羨ましくなってしまいました。


骨が溶けるだの砂糖のかたまりだの、いろいろ言われてるのはそれなりにデータもあるようで。僕の知り合いでも、ノーマルコーラをダイエットコーラに変えただけで5キロ痩せたという人もいる。

どんだけ飲んでたの?と同時に、そこまで好きなんだと。


小学生の頃工場見学行きました。まあまあ楽しかった程度。

コーラを製氷皿で冷やして、炭酸抜けたアイスとして食べるの、まあまあ好きでした。

大学の遠足、おにぎりにコーラグミ仕込んできたやつを「まず先生どうぞ」からの、沢山の中から選び、楽聖たちを喜ばせてしまったことあり。とてもまずかった。

リンドバーグが来日中、ずっとコーラしか飲まないのを見て、「日本には(今や世界には)あらゆる飲み物があるっちゅうに、あんたはそーかいな、そーなんやな、あんたもコーラーなんやな」と、ちょっとだけ呆れていた。


そんな僕は、羨ましく感じてもなれんわなあ、コーラーには。

アルコーラーには、とっくになっとる!!


川越へ

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2018年06月28日

素直


学びの初期の段階に必要不可欠な資質は


「素直である」


ということだとの示唆を見た。

実は深く考察すればするほど、この価値観が誠に正しいものであることがわかってくる。

ただ問題は、私たちの素直に対する認識。


【素直】
1 ありのままで、飾り気のないさま。素朴。
2 性質・態度などが、穏やかでひねくれていないさま。従順。
3 物の形などが、まっすぐで、ねじ曲がっていないさま。
4 技芸などにくせのないさま。
5 物事が支障なく、すんなり進行するさま。


ありのままで飾り気なく、素朴で態度などが穏やか、ひねくれていなく従順だったとしても、学びがストレートに入っていかないパターンもあるかもしれません。


投げ掛けに対してストレートにリスペクトできるためには、ただ従順だというだけでなく、良いものを良いと思える力、自分の未来のためという目的意識が、たとえ自覚なくても持てていることこそが必要だと思う。


学びに必要な素直さとはそのことであり、私たち教師はそここそを求めてなくてはならない。


川越へ

posted by take at 21:58| 活動報告

2018年06月27日

練習内容の娯楽化


今日は大学でのソロリサイタルズ(おさらい会から改名)。

附属高校生も聴く中、大学生たちはもれなく印象的なパフォーマンスを披露しました。

先月のこの回以降に取り入れたトレーニングシステムが、はっきりとした成長をわかりやすく示している。

すると「次の課題へ」となる。


基礎トレーニングの研ぎ澄ました個性的なパターンは、今後も思い付いていきたい。

更にスケールやエチュード、曲やオケスタはじめとした合奏の吹き方まで、利用するアイテムを増やし、彼らの日常の時間こそが、興味深く取り組める方法ばかりで埋め尽くされるようになりたい。


最近はやれていないが、僕の推奨するパターンを楽譜に興しエチュード化することもだが、やはり「練習道具」を充実化させたい。


過保護的に与えるのではなく、若者たちがゲームに興じるように、練習内容をとにかく面白くしたいし、ガンガン伸びていって欲しいのだ。


来月のソロリサイタルズがとても楽しみだ。


川越へ

posted by take at 15:31| 活動報告

2018年06月26日

心に足がつく


おそらく時代というのは、その時その時で個性あるティストがあるのでしょう。

ざっくり言うと、保守的な時代、革新的な時代というのも、長い目で見つめるとあるのだと思います。

もちろんいつの時代も、過去にない新しいものを模索することを善しとするのでしょうが、それでも大局的に見れば世の中全体が求めるテイストには、好みが反映されていたりするのだと思う。

その国の発展の仕方によって違うのかもしれないし、世の中のスピード感なんかも影響がある気がします。

バブルの頃の日本は、とにかく新しいものはなんでも歓迎されていた気もします。


ただ「新しければいい」も、ある程度の期間もてはやされ、どんどん増殖し「今までと違っていればとにかく」みたいなのも驚かないような、独特の飽和状態的感覚に包まれたりしたなら


やはり過去からのスタンダードがいい

からの

なんでも新しければいいんじゃない

からの

結局人間が喜ぶ感覚ときちんと対峙し、そこの正確な理解こそを教育が伝え、むやみに新鮮さだけに翻弄されないような、人間として、ある意味「地に足がついた」ならぬ


「人としての喜びに足がついた」


ものこそを、そんなものだから評価する価値観こそを、もたなければならないのだと思います。


N響ミュージックトゥモロー本番
ジャンルによっては、教育界全てが間違った感覚に囚われている世界もある気がします。

posted by take at 12:51| 活動報告