2018年05月22日

ソルフェージュの取説


フランスはソルフェージュ大国と言われている。

ソルフェージュ能力に対する価値を高く意識し、難易度の高いものを要求、トレーニングしているイメージがあります。フランス人はじめ、パリやリヨンで勉強している連中、みんな耳いーんだろーなーみたいな。


東京芸大(藝大当時の呼称)も、入試のソルフェージュは難しかったが、苦手だった僕でも入れてもらえた。

当時附属高校でのソルフェージュは、大学の入試のそれよりレベルが高いと言われていた。今でもなのかな?


『ソルフェージュ(フランス語: solf ge)とは西洋音楽の学習において楽譜を読むことを中心とした基礎訓練のことである。音楽を学ぶ者すべてがその専門にかかわらず修めるべき基礎訓練全般を指す。ソルフェージュは楽譜を中心とした音楽理論を実際の音に結びつける訓練。これらの訓練を通じて得られる能力、特に読譜能力はソルフェージュ能力と呼ばれる』


沖縄の楽聖たちにも「ソルフェージュって何?」と質問したら、大体上記のような答えが。つまり、いい演奏するために内在していなければならない能力というイメージが皆にある。


ただ僕の知る人で、ソルフェージュ能力超高いのに、楽器は冴えず、音程もリズムも良くないプレイヤーがいた。

逆に、聴音新曲リズムトレーニングあまりやっておらず、実際ソルフェージュ能力高くないようなのに楽器が上手いのもいる。

今日書きたいこと、誤解されたくはないが、決してソルフェージュができなくてもいい、やらなくてもいいと言いたいわけではない。


僕が、音楽表現とソルフェージュの関係性として必要だと思うのは、持ち合わせている能力が高かろうが低かろうが「使う」ということです。


ソルフェージュを使うこと。つまりソルフェージュは「使うもの」ということ。


能力が高くても楽器がうまくいってない人は使えてないのだろうし、低い能力でも使えば表現の洗練に貢献する。

具体的にどう使うのかといえば、楽譜に対して正確なリズム、音程、長さ等をこの能力でもって探し、精査し、それこそを楽器でさらう道筋にすること。

使えてない人は、なんとなく思い込んでいる曖昧なリズムや音程や長さでさらい続け、正確なフォルムを知らないまま、不正確なフォルムを身体に染み込ませていっている。

実はわかってない、知らないんだから正確になりようがない。


ある楽聖が懺悔のように言う。

「自分は、さらいはじめとそれなりの期間さらった結果、吹けるようになることはあっても、根本的に変わらないずっと同じようなだめな演奏だと、ずーっと感じています」

それは途中で、ソルフェージュを使い「正確な演奏を探す」ということをしていないからだ。

少なくとも、リズムや長さを精査することはそれほど難易度は高くないし、ソルフェージュ能力も、それなりのもので可能なはず。


楽器がどんどん上手くなる人というのは、実は常に細かくソルフェージュ能力を使いながらトレーニングしたり曲をさらっている。本能でそれをやっている。

ある意味


「ただそれだけが差をつける」


と言っても乱暴ではない、そんな気がしてます。



沖縄県芸レッスン
能力高く、リズムも音程も完璧だが音色が残念という奏者も。響きを求め聞き取る力は、また別かと。


posted by take at 13:41| 活動報告