2018年05月16日

男女はこーよ均等法


「男性が女性に優しくするのは当然だが、女性が男性に優しくするのも当然である」


え?普段から優しくしてるけど?

( ̄▽ ̄;) そ、そーですよね。

ていうか、どっち先に言うかで印象が違う?

Σ(;゚∀゚)ノ じ、じゃあ


「女性が男性に優しくするのは当然だが、男性が女性に優しくするのも当然である」


f(^_^;) なんだかとってつけたみたい?そもそも当然とか、そんな気持ちで優しくしてないし、当然だから優しくしてくれるってのは、違うと思う?

(-o-;) いや、そうだけど、まあ、そんなうがった聞き方しないでさ、素直に捉えて……

(;´д`) え?優しくない??

(T。T)


川越へ

posted by take at 12:39| 活動報告

2018年05月15日

周りが望む


レッスンをしていて

「人と一緒にやるときに一番大切なことは、二人だろうがそれ以上だろうが、携わる全員の目標、目的意識が同じになること」

と話した後、ふと思うところあり


「他人(ひと)が望んでいる発言をする、望んでいる態度をとるというのは、実はとても大事なことなんだよ」


と言ったら、生徒が大きく、深く納得したように見えたのが、今日一日で一番印象的なシーンになりました。


川越へ

posted by take at 19:20| 活動報告

2018年05月14日

取り組み二種


全ての取り組みに関して、人は二種類のどちらかだと分類できるのかもしれない。


ひとつ目のタイプは、自ら、自分のやることに、常に細かくリアルタイムで課題が持てる人。

もうひとつのタイプは、時間や、決めている課題のプログラムをこなすことを取り組みだと思っている人。

「私は後者です」

懺悔のように語った生徒の言葉から、この分類分けをイメージしました。


彼いわく、やると決めているルーティンをこなす、それなりの時間吹いたなら、練習をしたという気分になると。

やるべきだなと思っていることをこなすというのは、達成感はあるし、ある意味不安が減る行為ではある。

ルーティンだって、やり重ねることが効果があるはずだからルーティンとして選択している。

ただ、これで「やることはやってるから大丈夫」と思ってしまう人には、ある特徴が感じられる。それは


「リアルタイムで自分の演奏をモニターするのが苦手」


ということ。

私たちに大事なのは、今現在の課題に対して克服する力をもち、未来に成長という変化があるということだが、こなすタイプというのは過去と対峙しているのかもしれない。

ゆえに今現在の自分を見つめる力が弱く、その姿の現実が見えにくい。よって改善に時間がかかってしまう。

本人は、時間練習しているしやるべき課題はやっているのになぜなかなか上達しないのだろうと、首をかしげながら過ごしているのかもしれない。


リアルタイムでモニタリングできる能力というのは、誰にでもあるわけではない。実は聞けてないし感じれていないと理解し、その原因が課題の有無だとなるなら、まずはそれこそをお互いに共有する必要があると思います。


大塚へ、レッスン

posted by take at 17:23| 活動報告

2018年05月13日

顎の悲劇再び


上顎に張りつくのをみんなで語りだしたら、ほぼ全員まずは「海苔」と叫ぶわけです。で紆余曲折を経て、最後カールに到達したところで、この強顎(きょうがく)なる疑問は完結したのだと思っていたら、ぱいせんがポロッと言った一品で、自分の愚かさを思い知らされることになりました。デススターを破壊したからといって、スターウォーズは終わったわけではなかったわけで。それにしても不思議なのは、ほぼ全員が直ぐに「海苔」にたどり着くのに、述べ20人近い人がたどり着かなかったぱいせんのそれを聞いた瞬間、そこに居合わせた全員が「そ、それこそが一番だっ!!」と叫んだのです。「あの張りつき方には、人間に対する悪意を感じる」とまで言う人も。当のぱいせんもこれまた「それが嫌で年に一回も食べない」とまでのたまっている。




「そりゃ“もなか”じゃない」



あっ!そ、それそれ ( ̄□|||| 小次郎敗れたりっ、なぜ出なかったぁ!!!!!!! (号泣)


カラーズ合わせ、N響定期、ブロカート

posted by take at 17:35| 活動報告

2018年05月12日

正確な情熱


「感情的に書いちゃだめ。絵は情熱で書くものではない。こんな感じとか、こんな雰囲気でと書くのではない。そう感じるのは受けての話です。こういう絵にしたいというのがあるなら、それを論理的に構築しなければなりません」

絵画教師の言葉



「感情的に吹いちゃだめ。音楽は情熱で吹くものではない。こんな感じとか、こんな雰囲気でと吹くのではない。そう感じるのは受けての話です。こういう演奏にしたいというのがあるなら、それを論理的に構築しなければなりません」


これは「情熱」を正確に理解しないと、副作用が出てしまうという話だと捉えたい。敢えて、勘違いとしての情熱で取り組まないようにと言っている。


情熱の「熱」は、熱くなるではなく熱量、つまりエネルギーを表しているのだと思います。

そこに情という単語とコラボさせるというのは、そのエネルギーを「情緒」「感情」「情感」の表出のために使うということ。

情熱的にというのは「そのエネルギー」を存分に使いましょう、ということだと思います。

「熱くなる」と捉えると、発熱からの熱にうなされ、冷静にモニターできず、結果情熱的に聞こえるというより「ちらかっているだけ」となる。


感情的も「表現したものから情が感じられるように」であり、「情を感じ過ぎて、自分の産物と理想の距離に気づけないくらい支配されてしまう」となると、言葉自体が悪者になってしまう。


「情熱」「感情的」を正確に理解しようというきっかけとして、絵画教師の言葉は、機知に富むものに感じられる。


N響定期

posted by take at 11:38| 活動報告