2018年04月14日

構成力


今回定期で取り上げているベルワルドの交響曲。存在も知らなかった作品ですが、マエストロ・ブロムシュテットの作品愛と表現力によって「なかなかに魅力的な音楽」に仕上がっています。


そんな、あまりやらない曲、存在も知らないような曲の話になった。あるアマチュア奏者が、まさにそんな曲に取り組んでいると。

こんなときよく言うのは

「やってみると、やらない理由がよくわかった」

というもの。(ベルワルドは逆の印象)

「いろんな作曲家が顔を出す。あるときはマーラー、あるときはチャイコフスキーみたいな。でもその部分はそれ風で本家ほどではないし、全体としてはとりとめがない」

この印象も、ありがちなものです。


部分的に良いところがあってもとりとめがないとしたら、これはひとえに


構成力


の問題だろう。

かのチャイコフスキーは湯水のように魅力的なフレーズが湧いて出たが、まとめて一作品として印象が成功するように構築するのに苦悩していたとの話。

交響曲四番までは悩みに悩んで、五番でようやく納得にたどり着いたと言われている。


もしそれ風の部分が本家ほどの魅力にたどり着かない作曲家がいたとしたら、それは自らの構成力を育てあげる力が不足している、ないしはそもそも持ち合わせてないからかもしれない。


これは演奏家も同じである。

細かい部分の歌いかた、瞬発的な気持ちの込めかたに取り組みが終始するプレイヤーがいる。

細かいエスプレッシーヴォを繋げても、作品として魅惑的になるとは限らない。全体を歌うことが主体の上での細部のフォルムが、説得力をもってくることは確か。


一曲をどう積み重ねていきながら、起承転結からの感動を生めるか。理解できるだけでなく、そもそも構成という

「システムが組まれた箱」

を意識できるような資質を持たなければならない。


本当は、音大でこそ、ここを大事に考えなければならない部分だ。

若者には見つめにくい「全体」であったとしてもである。


N響定期、川越へ

posted by take at 15:06| 活動報告