2018年04月07日

わからない


「人には話さなければわからない」


そう思います。

これはシンプルに「以心伝心では伝わらない」と考えれば、その主旨が理解できる。

でも以心伝心が好きなんですよね。

話さなくてもわかってくれている。それだけ自分たちは、強い信頼関係で結ばれている……よね……ねっ!!

という希望。それが感じられるような瞬間があると、とても嬉しくなる。

ねっ!!ねっ!!私たち同じ何かを共有してるよね!!!


しかし大まかに主張が共有できたとしても、その意図の細やかな全てまでは大抵伝わっていない。

大抵のことは大まかに伝わっただけでも良しとできる場面ばかりだが、真意を正確に、本当に正確に伝えたいならやはり言葉にし、時間を使い伝えるしか方法はない。

場合によってはまるで勘違いされているのに、お互い伝わっていると思い、過ぎていく場面もある。

そう考えると、特に現代における価値観だが

「自分が思っているより、きちんと言葉にして伝えた方がいい。あまりたかをくくらないで」

となる。



少しだけ観点をずらして。

自分の発言に対する、相手がもつ感情的印象について。


「自分が話したことが、どう感じられるかもわからない」


話の内容が正確に伝わったかどうかがわからないのと同様に、自分の言動から相手に沸き上がる感情も、実はかなりわからない。その意味での、発言の価値や是非すらも、自分にはわからないものだ。

悪意をもって表現し不快を生んだとしたら、ある意味矛盾なく成立しているが、ほとんどの人が大抵の場合良かれと思って表現しているわけで、しかし結果にはずれがあることも多いだろう。

「相手の感情の状態は、わからないものだ」と思っていた方が良いのだと思う。

もちろんそれでは不安だ。しかしその不安こそが、自分の表現を丁寧にしていく。

細かく相手の喜びや怒りを感じようとしはじめるし、その積み重なる経験が失言を減らし、愛ある表現へと繋がる。そして自らの中に本物の愛が生まれるのだと思います。


それが、一番楽な生き方へと導かれるプロセスなのだとも思います。


レッスン

posted by take at 10:47| 活動報告