2018年04月15日

言わなくてもよいこと


今家人は、次回のブロカートのチラシ用に、ベートーベンとブラームスを描いています。

どちらもイケメンだが、特にベートーベンは、彼女のリスペクトも筆にのっているように見える。

そう伝えると、「ブラームスの方はまだ描ききれてなくて」と。

ブラームスも憧れの筆になるとどう仕上がるのか。とても楽しみです。



その絵描いているところを見たあるご婦人が

「私先日ウィーンに行ってきたの。本当のベートーベンって、この顔じゃないんですって」

と言ったらしい。


言わんでいいこと、言わんでよろし!!


思わず叫んでしまう。本当、自戒の念も込めて。


人は本当に言わなくてもいいことを言ってしまう。言っちゃいけないことまではたどり着いてなかったりするが、言わなくてもよいことは、言わない方がいい。なぜなら、いろんな意味で一方通行的に放たれることだから。


「人間たるもの、言わなくてもよいことは言わない」

小学生のときに、いの一番に教えてもいいことなんじゃあないでしょうか。

だって…

本当に生きるのが上手い人は、何が言わなくてもよいことなのか、そして言わない方がよい理由まで直感で細やかにわかる、ゆえに言わなければならないこともわかる。

そんな人だから。


室内合奏団、N響定期

posted by take at 22:58| 活動報告

大人の京急


夕方くらいになると、京急のホームは、帰宅の人たちでごったがえす。

遥か彼方の三崎口まで本当に長旅ができる京急なので、僕のようにチョイノリからガッツリノリの人まで、さまざまな乗客が、まさにるつぼる。


ホームに小さなセブンイレブンがあり便利。

そこで買ったのだろう、サラリーマンが350のスーパードライを飲みながら、電車を待っている。


……家まで待てないのかな?きっと遠いんだろうなあ。


快特が来た瞬間、飲みさしの缶をスーツの内ポケットに入れ、満員電車へともまれにいく。彼なりのマナーなんだろう。


……どこかで空いたら、残りを飲むのかなあ。


もしかしたら、ホームで何口か、ちと我慢して、空いたら残りを飲むことを一日のささやかな楽しみにしているのかもしれない。

飲まない人からすると迷惑に感じるかもしれないが、ガッツリ働き長距離を往復するサラリーマンの本当に小さな幸せを、おおらかなハートで許してあげてほしい。


ふと……

一番後ろの一両くらい「飲酒車両」にしてあげたらどうだろう。

中には立ち飲みテーブルがあり、自販機にトイレも。知らないサラリーマン同士も、お酒の力でフレンドリーからの、長旅ストレス軽減に役立ちそう。

喧嘩した場合は次の駅下車からの、ブラックリストで再利用不可。


名前はもちろん『大人の京急』。車掌おおらかなおよろし。



N響定期

posted by take at 20:02| 活動報告

2018年04月14日

構成力


今回定期で取り上げているベルワルドの交響曲。存在も知らなかった作品ですが、マエストロ・ブロムシュテットの作品愛と表現力によって「なかなかに魅力的な音楽」に仕上がっています。


そんな、あまりやらない曲、存在も知らないような曲の話になった。あるアマチュア奏者が、まさにそんな曲に取り組んでいると。

こんなときよく言うのは

「やってみると、やらない理由がよくわかった」

というもの。(ベルワルドは逆の印象)

「いろんな作曲家が顔を出す。あるときはマーラー、あるときはチャイコフスキーみたいな。でもその部分はそれ風で本家ほどではないし、全体としてはとりとめがない」

この印象も、ありがちなものです。


部分的に良いところがあってもとりとめがないとしたら、これはひとえに


構成力


の問題だろう。

かのチャイコフスキーは湯水のように魅力的なフレーズが湧いて出たが、まとめて一作品として印象が成功するように構築するのに苦悩していたとの話。

交響曲四番までは悩みに悩んで、五番でようやく納得にたどり着いたと言われている。


もしそれ風の部分が本家ほどの魅力にたどり着かない作曲家がいたとしたら、それは自らの構成力を育てあげる力が不足している、ないしはそもそも持ち合わせてないからかもしれない。


これは演奏家も同じである。

細かい部分の歌いかた、瞬発的な気持ちの込めかたに取り組みが終始するプレイヤーがいる。

細かいエスプレッシーヴォを繋げても、作品として魅惑的になるとは限らない。全体を歌うことが主体の上での細部のフォルムが、説得力をもってくることは確か。


一曲をどう積み重ねていきながら、起承転結からの感動を生めるか。理解できるだけでなく、そもそも構成という

「システムが組まれた箱」

を意識できるような資質を持たなければならない。


本当は、音大でこそ、ここを大事に考えなければならない部分だ。

若者には見つめにくい「全体」であったとしてもである。


N響定期、川越へ

posted by take at 15:06| 活動報告

2018年04月13日

マジでヤバい


しながわ水族館のイベントポスター、そのコピーにプチウケする。


しながわ水族館、春の特別展
『海の危険ないきもの大集合〜マジでやばい生物(やつら)たち!!』



「夏の海水浴シーズンを前に様々な危険生物が存在することをご紹介し、楽しみながら学べる展示内容となっています!」とのことだが、いまどきの若者なら、どんなにイケてるやつらが見られるのかと思うだろう。実際そこにもかけているのだと思う。


この話題を家人にふると、「〇〇文化会館のコピーが、なんだか凄いみたいよ」という話になった。「時空を超えたオーボエソロ、とか書いてたりするんだって」


実際このホールのページを覗いてみたら、たしかにソリストの称えかたが、映画の宣伝っぽい。

「超人 ピアノモンスター 赤子をひねるような別次元の技術」

「背筋が凍る、超ブリザード級の鍵盤芸術」

「輝けるハイC9連発」

等々


この際、このホールの広告担当がここまで個性を積極的に出すなら、しな水のように、あの言葉を使ってみるのはどうだろう。


『マジでヤバい超絶ヴァイオリン、背筋も凍る冬の協奏曲』


これで

「ソリスト大丈夫か?なぜ呼んだ」

思ったあなたは、一度渋谷へ留学することをオススメします。


N響定期練習、川越へ

posted by take at 17:41| 活動報告

2018年04月12日

雑の良し悪し


丁寧は善、雑は悪という価値観の空気があるが、


丁寧は必ずしも善とも言えない

雑は必ずしも悪とは言えない


そんな場面もあると思います。


私たちの目的達成に必要な「情熱」は、静か動かと言われれば動であろう。

それは丁寧か雑かと言われれば、雑の要素があると思うのです。


本物の丁寧は、あらゆるタイプの雑を超えた先にある。そう感じています。

そういう意味で、雑を否定しきるのは危険。

実は、雑を好み、丁寧を更に愛するような価値観が一番必要だと思います。


N響定期練習、川越へ

posted by take at 16:54| 活動報告