2018年03月26日

進化せよ


元力士が、昨今の暴力問題についてコメントしている。

「難しいですね。自分の時代は普通でしたが、愛情あるムチかどうか。悪いことしてるのに、無関心になると育たないし」


暴力問題やハラスメント問題、おそらく年長者の大半が自分の辿ってきた道と照らし合わせ、線引きの頃合いを探しているのでしょう。

どこまでが愛のムチでどこからが暴力なのか。


いろんな人が「愛情はないとだめだ」とか「怒らなくなるのは良くない」とコメントしている。


僕も当然そう思いながら、実は大事なポイントはそこではないと考えています。


昔と今、スタイルがどうこうではなく、教育やコミュニケーションの場面では愛情も無関心も同じように存在してきたはずで、それぞれの結果も何も変わらず同様なのだと思います。

だから語るべきところはそこではない。


実は僕は、テレビや日常会話からはまだ一度も聞いてない、あるワードをずっと考えている。それは


「進化せよと言われている」


ということ。自分の教育スタンス含め社会から、いや天上から、今までとは違う、もっと進んだ方策を身に付けなさいと言われている気がするのです。今までが良かった、いや良くなかった、ここまでは大丈夫という話ではなく。


ネット社会になり、人の気質、その求められることが急速に変わっていっている。ちょうど今、そのスピードについていけてない人が特に多い時代になっているのでしょう。


自分の今までは良きも悪きも肯定し、全てが人生の糧になっていると考えるのが人間。昭和までの上意下達、愛のムチ、以心伝心で苦しみの中からはね除けて学べというスタイルも、それがあるから今の自分があるというようにしか思えず、そこから脱却できない部分が、実は僕自身にもある。

一億三千万総GPS装着時代。過去の秘められていたゴシップまで引き出され、清廉潔白であれ、白黒はっきりしなければならないという情報露呈時代において、価値観の主流が変わっていく世代、その台頭により教育もコミュニケーションも「あの頃の自分の経験」では、ハウリングが起こっている。

その内容に、愛情がとか感心そのものではなく、それらがあるから故に「進化を遂げよ」と求められているのではないでしょうか。


洗練と進化。


暴力に代表される身体に対する直接的ダメージは当然あり得なく、言葉によるダメージも本当に効果に繋がるもの、ダメージと捉えられなくて済むものを。


「そんなことじゃ、これからの世代は軟弱になるだけじゃないか」と考える人は、その考察の向きそのものも進化する必要があるのでしょう。

前の世代からすると私たちの環境も軟弱なはずで、しかしそれでも大半の人は逞しく生き抜いているのですから。


進化せよ。未来が現代の私たちに向かってそう言っている。相撲界へ、レスリング界へ、政界へ。

そして、僕自身に。


川越へ

posted by take at 18:25| 活動報告