2018年03月17日

耕ししろ


進化は素晴らしい。

人間の進化、システムの進化、道具の進化

人は「皆の幸せ」や「自分の生きた証」を目指し、進化を求め努力する。


システムや道具の世界では、我々の驚くようなスピードや内容の進化が露になり、特に前世代の人には受け入れるのに抵抗があったりするような刺激的なシーンもある。


そんな進化たちですが、人間が利用するのに、さすがについていけないようなものもあったりする。

大抵副作用のような具合の悪さが出てきて、そこを治すが如く更に人間が別なやり方を足して合わせていったりする。

効果のある薬だが、胃に負担があるから胃薬も一緒に飲むみたいな。


なぜ副作用が出てくるかというと、目指した進化があまりに、人にとって


楽に手軽に身近に楽しく


と進み過ぎ、各々の「耕しろ」が失われる、つまり設定した側が完成されたものを与えすぎるからだと思う。


私たちが喜びをもって取り組むことに「ひまつぶしテイスト」と「成長テイスト」というふたつのカテゴリーがあるが、ひまつぶしなら、一過性なので上記のようなものでもいい。しかし人生の時間が自然と望んでくるような成長なら、ひとりひとりこそが


耕したくなるような畑


つまり耕したくなるようなシステム、耕したくなるような道具こそが人間には合っている。

鍬(くわ)を入れたくなるような土地。それをほぐし、種を植え、水をやり、芽吹かせ、葉を、実をつかせ、それを収穫する。

しかし優し過ぎる(?)道具、システムは、目前にした段階で、もう畑として耕され肥料も含まれた中から見事に成長、葉どころか立派な実も生っており、更にそれが熟していて、あとは「手にとって召し上がれ」だけみたいな。


その耕ししろの無さが、実は人間には辛いものになる。

それがどんなに、それまでにないくらい魅力的なものであっても。


鶴岡へ、クリニック

posted by take at 09:40| 活動報告