2018年03月11日

長き七年


「今も7万3千人が避難生活」、「人口の流出が激しい」、「人々の暮らしやコミュニティの立て直しは道半ば」等の言葉たちと共に、

「復興は順調である」

という発言も聞かれる。

携わってきた方々の成果に対して不満を言うつもりは欠片もない。復興住宅、道路も嬉しい限りだ。

しかし七年経ってようやく「順調」という言葉を使う、未だに大変な現実が沢山ある被災地に対して、本当に順調などと言えるのだろうか。

根拠なく不安を感じたり煽ったりするのは決して良いことではないから控えたいが、だからと言って「もう大丈夫」みたいな空気を流すのは、今までのご苦労、これからの大変さを継続して受け入れる被災者の皆さんに対して失礼な印象すら感じる。

せめて

「とても時間がかかったが、ようやくこの程度までたどり着いた」

くらいにしてほしい。

そしてまだ何が足りてないのか、それにどのくらい時間がかかるのかこそを発信し、気持ちを募りたいものだ。


改めて、二万人の無念に対し、合掌。


僕はこれからも大槌を見つめ続け、皆様に寄り添う決意を新たにしています。

なかなか大槌に伺えてなく申し訳ないのですが、こちらで出来ることも継続してまいります。

皆様との信頼を一番大事にこれからも、真の復興を願い進みたいと思います。


N響山口公演

posted by take at 19:14| 活動報告

2018年03月10日

ひとつの復興


大槌に通っている友人の話。

「こないだね、大槌でいつものおばさんたちといろんな話をすることがあったんだけど、これまでと違うなあって思ったことがあって。
愚痴大会になって私ずっと聞いてたんだけど、それがフツゥーの愚痴だったの」

「ほぅ、それは面白いね」


被災地には、愚痴が普通の内容になるという復興がある。


N響広島公演

posted by take at 10:03| 活動報告

2018年03月09日

一過性ではないこと


イベントと定期的継続の取り組みについて。


一過性のイベントは、一回でやりきろうとする内容の濃さや、やれば終わるということに対する瞬発的エネルギー、そしてその体験できる喜びや刺激の新鮮さが魅力であり、わくわくしながら準備をしたり本番は異様に盛り上がったり、達成感もひとしおだったりする。

それと比べ、定期的に開催しながら継続していくことというのは大分テイストが変わってくる。

一回目、デビューとも言うが、それはイベントを同じような力が注げ達成感も感じやすいが、それを年に一度、半年に一度、数ヶ月に一度、1ヶ月に一度と繰り返して継続していくこととなると、メリットとデメリットを感じることになる。

デメリットというのは、とにかくエネルギーの持続の難しさ。楽しかったり、勉強になったりするからこそ継続するのだが、手探りで作り上げる一回目に発せられるエネルギーを、何度も沸き上がらせるのは結構大変。準備が大変なことであればあるほどそう。

コンサートとかなら、集客もそのひとつ。一回目、興味をもち来てくれた人が二回目以降来てくれるとは限らない。やる度に来てくれるファンがいたとしたら、それは本当に貴重な存在。つまり、そんなにたくさんはいてくれないのが現実。


メリットというのは、まず要領がわかっていくということ。その点の不安は軽減される。

上記のデメリットと反する矛盾のようだが、やり方の理解は楽へと繋がることもある。

開催したい気持ちが雑用の煩わしさを凌駕すれば、準備も苦にはならないが、しかしそれを超えて大変な雑務はある。

なんか、やる本文より周りの準備の話ばかりみたいに書いたが、今日本当に言いたいメリットはそこではない。

継続して繰り返していくことの一番のメリットは、やはり


自分の中に積み重ねることができる


ということに尽きる。学校はじめ、学びの現場に最も必要なのはこのことだ。成長という変化が最も欲しいことだから。

大学における内容、ソロやアンサンブル、オケスタ、合奏含め全てのことは、「満を持したイベントテイスト」というよりは、恒常的にプログラミングされているべきだと思う。

若き大学生たちは、一過性のイベントに対して物凄い力を発揮することができる。大学生の四年間自体が、人生の長き時間からすると一過性のような時期。高校生までとは違う、自発力も大いに発揮しやすく、自由を手にしているムードもある。そんな中、新鮮な喜び求め仲間とあれこれ作り上げるのは、大学生こそ様になっている。


しかしそれが、学びの内容を持つことであるなら、あまり時間の開かないペースで、繰り返された方がいい。

そして、毎回反省ができ、毎回次回にかけられるようなスパンで繋がっていた方がいい。


油絵具の積み重ねのような、完成への道のりは、まさに立体的な力と魅力に満ちている。

しっかりとプログラミングし、信じて進むのみだ。


N響倉敷公演

posted by take at 19:10| 活動報告

2018年03月08日

脱力熊

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疲れが溜まり目の下にクマができてたならしっかりと休養をとった方がいいが、頭上に巨大なクマが現れたならリラックスしている場合ではな……


しとるやないかっ!!チョーリラックス(@ ̄□ ̄@;)!!


デカイ!!寝転がっとるし……か、可愛い

いや、特別ファンでもないが、こんだけバーンと現れてくれたらね、少なからず好印象で。


まあ京急沿線に住んで早18年にもなるが、よかったなーと、京急で。

あ、これ京急品川駅のホームっす。


ロシアのスケート少女も喜びそうな企画、今ちょうど京急とリラックマがコラボってて、グッズ売るくらいやったらえんやけど、駅名変えたりまでしたりしとる。

「2018年3月6日、京急久里浜駅が「京急リラッ久里浜駅」に変わりました」


ここらへんは、まー苦笑してくださいてなレベルかな。

特別な企画きっぷ買うと、三崎のまぐろを抱えたリラックマのぬいぐるみが貰えるのもあり、ちょっと惹かれてる。

だって、クマのぬいぐるみはドイツのシュタイフから熊本の復興支援熊まであるが、まぐろ一匹のぬいぐるみはなかなかないやろーし。

でもこいつには、まぐろはとれんやろなー。帽子にあるよーに、ゴロゴロリラックスして釣れる代物やないで、三崎のまぐろは。


とにかく、にわかファンになりつつあります、リラックマ。


N響練習

posted by take at 10:26| 活動報告

2018年03月07日

自分よ、どーよ


3月11日が近くなってきました。丸七年が経とうとしています。


「気持ちが薄くなっているぞ」

自分の心にある情けなき風化を戒める日々。

それゆえ皆さんの無関心を、失礼ながら想像するのも難しくありません。すみません、あくまで僕の想像です。


こうなってきた今からこそが、自分の人間力の測り時ではないでしょうか。

実は、必ずしもたいそうなことをしようと思わなくてもよいはずなのです。

日常のコミュニケーションに話題としてあげる。忘れようとしないベクトルであれば、少なからず価値のある善なのだと思います。

小さな募金でも、今はとても価値がある。それもできてない現実が蔓延しているから。


思い出したい。

二万人の命が一瞬で亡くなったこと。あまりに辛い、愛や情との別れがあったこと。家や町が無くなったということは、思い出、歴史、物、尊厳までもを、無念と共に失った人がたくさんいること。癒えるには大きすぎる哀しみは、物凄く多くの人を襲った。

復興、再生しようとしている人たちは、本当に立派だということ。

日本を南北に貫く経済の中心ラインからははずれた海沿いであり(阪神淡路と違う点)、距離もあるがゆえ、時間がかかってしまうような復興の扱いになってしまっている現実。

それでも住宅やインフラの提供に感謝をし続ける、被災地の人々。

個人個人が期待する復興、それを諦めずに被災地を見つめ、努力と交流を続ける年長者たち。残りの人生をそこに尽力すると誓い、落ちる体力、病と共に闘い続けている人もいる。

地元の別れる意見。複雑に絡み合う利害と価値観。どちらへ進んでも、メリットとデメリットがあり、そこが先へと進ませない原因になってしまうこと。

若い世代の逞しい支援への行動力。それを受け入れたり、迷惑がったりする人もいる現実。


私たちが、風化していく今だから

「自分よ、どうよ」

と問いかけるチャンス。

たいそうなことではない。人間として、正直な心の中の「思いやり」の部分を少しだけクローズアップすればよいだけなはず。


休日

posted by take at 12:08| 活動報告