2018年03月21日

めしも食わせない


ドラマを観ていたら、面白いシーンがあった。


学者肌の男が、国王に頼まれてとある研究に没頭している。もう何日も隠りきりで、食事もせずにのめり込んでいる。

部下たちは定期的に食事を運んでいるが、彼は全く手をつけない。

「お身体を壊しますから、必ず召し上がってください」

と声をかけているがまるで無反応。「全然食べてくれない。あんな変人だったとは…」とぼやくばかり。


数日たったある時、彼は大声で叫ぶ。

「よしっ!これだっ!!」

研究が完成した次の瞬間、お腹がぐ〜〜っと鳴りふらふらっと倒れそうに。


「あいつら(部下たち)は本当に酷いやつらだ。俺にめしも食わせないなんて!」


集中力とのめり込みからの盲目を極端に描いたようなエピソードだが、似たような話は他にもある。


私たちは、時が流れるのを忘れるくらい没頭できることに、ひとつでいいから巡り会えるといい。

それこそが自分に合っていることだ。

他人と違っていいし、結構違ったりするものだ。


巡り会えたら、自分でも驚くほど集中し、あっという間に時間が経ってしまう虚しさも感じるだろう。

その代わり価値ある何かが手元に残り、そのプロセスをまた繰り返したくなる病気にかかることができる。


この病の副作用としては、寝不足、肩凝り、目の疲れ

そして一日三回も権利がある食事を、頼まれもしないのに、胃に反して抜いてしまうことだ。


帰京、NTTレッスン

posted by take at 21:01| 活動報告

2018年03月20日

常宿


演奏旅行が続いています。

N響の旅はもちろん個人行動。ホテルも移動も自分で設定。海外公演でない限り、宿泊もバスや列車も皆一緒とはならない。


長く旅を続けてきて、最近ようやく自分のやり方が見えてきました。というか、自分が何が嫌なのかがわかってきたのです。


僕の場合一番だめなのが、ホテルの部屋の狭さだったのです。実はあまり気づいてなかった。

ただ年々、時間に余裕があっても部屋に長居したいわけではないんだなあとわかってきました。

7時代に目覚め、お風呂をためてゆっくり浸かります。家人と電話で話し、ニュースを見ながら買ってきた朝食を食べます。

チェックアウトが11時でも正午でも、10時前になるとどうしても部屋を出たくなる。

それが狭い部屋なら余計にそうで、もう9時辺りにチェックアウトをし、レンタカー組との待ち合わせ時間や電車の時刻まで、キャリーと一緒にスタバでお茶しながら時間を潰したこともある。


沖縄では早い段階で常宿が決まりました。

最初二回あるホテルに泊まり、気分を変えようと牧志駅のダイワロイネットにしてから、ずっとそこになりました。

多分他にも良いホテルは沢山あるのでしょうが、なんだか安心な居心地。

清潔なことは大きいのですが、何より部屋が狭い日本のホテルの中でも、ある程度ゆったりとした空間が保たれているから。

ここがある都市では、多少駅から離れていてもとるようになってきた。

先日の広島では、駅からタクシーで10分とかなり離れてたけど、やはりここにして良かったと思いました。繁華街で飲み、仲間たちは皆駅方面へタクシーで、僕は真逆へ時間かけて歩いて帰ったし、翌朝は駅まで40分近くキャリーと一緒に歩いたけど全く苦にならなかった。

先週の旅は四泊中二泊ここに泊まり、帰京した時、

「ああ、いつもと旅の印象、疲れが違うな」

と思ったのでした。


仲間と話すと、あれこれホテルの会員になっている人もいて、自分のスタイルをもっている人も多い。

「俺は狭さは平気なんだよね。でもここはこの勝手が良くてさ…」

なんて人もいる。


自分のストレスのかかり方がわかるって、とても嬉しいことだ。


N響郡山公演
もちろん郡山も駅前のここ。会員だからか「広い部屋にしておきました」と。嬉しいしかなり快適。


posted by take at 08:30| 活動報告

2018年03月19日

パワー


若い時のパワーが、可能性の宝庫である筋力のポテンシャルを大いに活用した


「ちからわざ(力業)(力技)」


だとしたら、年齢を重ねた人のパワーとは…………

喜びの真理とは、まとまった力ではなく拡がりと伸びやかな大きさを持つものだと理解した頭が、そのために必要な力抜きをし、代わりに距離感を掴んでいくという


「脱力技」


なのでしょう。


これは演奏家やアスリートだけでなく、全ての業種、また人間関係や自分の生き方にも言えると思います。


川越へ
決して失った筋力に対する妬みではありません………よ。

posted by take at 14:50| 活動報告

2018年03月18日

楽器とピッチと音色


かつてのドイツ管に顕著な特徴として挙げられること。いくつかのボイントがあるが「明るく響く」というのはそのひとつだと思う。

これはドイツ人の趣向、使われた金属のこと、周りの環境等いくつもの理由が、歴史的な時間と共に重なってのことだと思うが、ベルリンフィルはじめとしたオーケストラのピッチが高く設定されたことも大きいでしょう。


Aの音は周波数でいうと440Hzだが、オーケストラによってこのピッチは少しずつ異なっている。

かつて情報が広範囲に流通してない時代は、それぞれの事情でかなり自由だったそう。430だったり450だったりもしたそうだが、現代は440代前半が主流。

アメリカは低めの440。ところがヨーロッパ、特にドイツ・オーストリアではこれが444とか445になっていることは珍しくない。

僕が留学していた頃、ベルリン・フィルでは、それまでより少し低く443辺りにしようという流れもあったようだが、結局演奏の後半には445くらいに上がっていたように聞こえた。カラヤン時代は446だったとも言われている。
 

一般的には弦楽器はピッチが高いほど弦のテンション(張力)が高くなり、張りと音量のある華やかな音になるので、ドイツ人がとにかくそれを好んだというのは、管楽器のセッティングにも当然影響しているはずなのです。


で、現代ですが、世界が442辺りで落ち着きつつある時代。アメリカ管のみならずドイツ管はじめヨーロッパの楽器たちも、そこを意識した作り、セッティングになっているのでしょう。

その楽器に対し、ツボとしてはセンターを狙い、息の流れや響きの豊かさに自分の個性をもたせるのはとても良いと思いますが、その楽器が本来持っている響き以上に明るく吹こうとしたり、更に暗く太く吹こうとするのは、実は良くないのだと思います。

自分のイメージ優先で、とにもかくにも明るく、また暗く吹こうとすると、不自然なレスポンスになり、タンキングや息の流れに癖を持って影響が出てくると思うのです。

素晴らしい楽器の言うことをよく聞き、それを超えてまで個性を出すのではなく、とにかくポテンシャルの幅を信じて、立体的に拡げていく。

そうやって初めて、明るさも暗さも、自在に表現できるサウンドになっているはずなのです。


N響鶴岡公演

posted by take at 15:24| 活動報告

2018年03月17日

耕ししろ


進化は素晴らしい。

人間の進化、システムの進化、道具の進化

人は「皆の幸せ」や「自分の生きた証」を目指し、進化を求め努力する。


システムや道具の世界では、我々の驚くようなスピードや内容の進化が露になり、特に前世代の人には受け入れるのに抵抗があったりするような刺激的なシーンもある。


そんな進化たちですが、人間が利用するのに、さすがについていけないようなものもあったりする。

大抵副作用のような具合の悪さが出てきて、そこを治すが如く更に人間が別なやり方を足して合わせていったりする。

効果のある薬だが、胃に負担があるから胃薬も一緒に飲むみたいな。


なぜ副作用が出てくるかというと、目指した進化があまりに、人にとって


楽に手軽に身近に楽しく


と進み過ぎ、各々の「耕しろ」が失われる、つまり設定した側が完成されたものを与えすぎるからだと思う。


私たちが喜びをもって取り組むことに「ひまつぶしテイスト」と「成長テイスト」というふたつのカテゴリーがあるが、ひまつぶしなら、一過性なので上記のようなものでもいい。しかし人生の時間が自然と望んでくるような成長なら、ひとりひとりこそが


耕したくなるような畑


つまり耕したくなるようなシステム、耕したくなるような道具こそが人間には合っている。

鍬(くわ)を入れたくなるような土地。それをほぐし、種を植え、水をやり、芽吹かせ、葉を、実をつかせ、それを収穫する。

しかし優し過ぎる(?)道具、システムは、目前にした段階で、もう畑として耕され肥料も含まれた中から見事に成長、葉どころか立派な実も生っており、更にそれが熟していて、あとは「手にとって召し上がれ」だけみたいな。


その耕ししろの無さが、実は人間には辛いものになる。

それがどんなに、それまでにないくらい魅力的なものであっても。


鶴岡へ、クリニック

posted by take at 09:40| 活動報告