2018年02月22日

やはり、やはり積み重ね


演奏の、ある場面で不意に感動する。鳥肌がたつように身体の内側、心の中が細かくジーンと振動し、目頭に涙が浮かぶ。

ただそこでそうきたからといって、同じ演奏のその部分だけを聞いてみても、感動はやってこない。

曲の最初から、きちんと積み重なってきたものがあってこそ訪れる。


大事なのはその積み重ね方。


スコアをよく読んで、場面場面を演出、誇張するようなやり方をしても、「ほぉ」はあれど、感動とまでたどり着くとは限らない。

場面の的確な理解と表現は大事だが、時間の快楽である音楽はその繋がり方、関係性に納得や説得力があることが大切なわけで、とにかく途切れず繋がっていることが必須なのだ。

いや、繋がっているというよりは、きちんと積み重なっていくような流れ方、キャラクターである必要がある。


感動がやってくる人というのは、曲の最初からその心に印象が真っ当に積み重なっていくのだと思います。コップに印象が貯まっていくみたいな。

そしてそれがいっぱいになり、溢れてしまうような状態になった時、感動するようになっている。

つまりきちんと時間をかけて、心に真っ当な関係性が積み重なっていき、感動できる状態になっていけた人だけが、涙を流すほどの快楽を得るのだと思います。


この演奏の価値の真実を理解してもやはり、積み重ねることこその大切さを強く感じる。

日常の生活が、人生の充実を目指すため、きちんと工夫、研究、実験、鍛練を積み重ね続けるような生き方で占められているか。

いや、のべつまくなし占めてなくてよいのだが、そのテイストとは違うこと、よくわからないまま研究や実験もせず継続したり、ちょっとうまくいかないと直ぐに違うことへ方向転換して逃げてしまうことを繰り返したり、周りと違うことをすることばかり選んだりというのは、積み重ねられない体質への道程となってしまう。


オリンピックを見てても本当に思うが、積み重ね名人になる、そんな取り組みができる人になるべく、生徒たちを導かなければならない。


そんな彼らのコンサート、明日になりました。アンサンブルの演奏からは、しっかりとした積み重ねが聞き取れます。

彼らが、客席へ喜びを奉仕し続けることを期待するばかりです。


川越へ

posted by take at 19:52| 活動報告