2018年02月16日

道具と納得


昨日の続きのような道具話ですが……


広くシェアを得るタイプの道具にはいくつかのパターンがあると思います。

とにかく懐の深い、いろんなスタイルのニーズに高い次元で応えられるもの。アプローチに様々な趣味、癖があっても、そのポテンシャルが包み込むように受け止めてくれ、開拓欲、満足感と共に長く付き合えるもの。


凄くクオリティは高いが、利用者のアプローチを限定するもの。楽器なら、この楽器にはこのマウスピースでなくてはならない、こういう結果が特徴でそのためにこういうやり方で取り組むべきみたいな。


ふと飲み屋が頭に浮かびました。

個室ばかりなんてのはひとつの極まりでしょう。店員も最小限しかコミュニケーションとらないから、利用者が好きなよーに、利用したいよーうに使ってくれと。深刻よし、ラブラブよし、騒いで騒いで楽しくなるのもどーぞみたいな。

方や、料理は美味しいしお酒もいいのがあるが、大将の雰囲気を理解して居合わせなければならないとか、また女将さんがテーブルに来てずっと話を聞くことになるとか。

うちの近所にもあるんです。女将さんの距離感の近い話、彼女のこだわりや、世話焼き風話を聞くのが好きなのだろう客でいっぱいだった。僕は趣味に合わず一回行って二回目はないのですが。

あー、直ぐに夜部門に脱線しますね。楽器に戻ります。


楽聖たちには、実は道具にはそんなパターンがあることも知っておいてほしい。悩みの持続ではなく、欲求こそがふくらんでいくような道具を選ぶべく、最低限の知識と、人間と道具の現実を理解していってほしい。

僕はとにかく自分のカラーを出したがるので前者の方がいいのですが、もう少し具体的に、リスクを感じるパターンを挙げてみたい。

発音の仕方が限定されるもの。はっきりつきたい、柔らかくつきたい等のバリエーション欲に対し「こうつかなければ音がでない感」が強いもの。

音色のバリエーションが少ないもの。いつも綺麗、暗くならない、テンションが上がらないし下がらない、広がるばっかり、まとまるばっかり。 荒い意見だが、荒くならない、汚くならない。


アプローチの限定されたスタンスに対して自分がコントロールしきれて、バラエティーな感情表現ができるなら、全く問題ないどころか素晴らしい。

旧東側の弦楽器名手のように、日本なら音大生も使わないような楽器で世界が涙するような音を出す演奏家、そんな人間の実力が道具の限界を凌駕するなんていう素晴らし過ぎる可能性も、芸術の世界にはあったりする。


しかし、自分は感情的起伏と生きているのに、常に道具に合わせなければならないような気分になる、それが出来ないのは自分のせいだとだけ感じながら、ウィークポイントと付き合い続けるような道具なら、必ずしも合っているわけではないのだと思う。

未経験、更に自虐的な性格から、現実を知らず悩んでいるとしたら、やはり新しい一歩が必要になってくる。

こんなアプローチも生徒と共有し、教師として投げ掛ける必要性を感じはじめています。


休日

posted by take at 18:15| 活動報告