2018年02月15日

原因へのアプローチ


マウスピースや楽器は、音楽を表現する道具でしかない。

だから音楽的成功も失敗も本来は自分の中にしかないわけで、道具にいろんなことを委ねすぎてあれこれ変える、それを長きに渡って続け、結局選びきれず満足できずというのは、あまり得策な向き合い方ではないと思います。

平たく書くと、うまくいかないこと、満足できないことを道具のせいにし続けるというパターン。


ただこの真逆、マウスピースにも楽器にも無頓着で、うまくいかないのは全て自分のせいだと考えるのも、自分のウィークポイントの打破を邪魔する原因になりかねない。


道具のせい、自分のせい。このふたつが両極にあるパターンだとしたら、この観点でもその中間、センターにいる必要性を感じる。


オーケストラの現場でもそうだが、たとえば音が合わなかった時、言い訳をしなければならないフランス人気質のように「自分には問題はない、周りが悪い」と言い切るのは、日本人的にはうまくいかないだろう。

しかし常に「自分が悪い」と考えたり、そう表明したりする(日本ではこちらが受け入れられる)のも、あまり良いとは思えないのです。

たとえ自分に不安があったとしても、本当の原因は違うところにある可能性もある。


大事なことは、原因の解明から理解が「正確である」ということだと思う。

不具合の原因が正確に理解できて、初めて素晴らしさの要因もわかるはずなのです。

そこを何でも「自分が悪い」「努力が足りない」としてしまうと、魅力や感動、実力や正義の本当の原因もわかることができない。

この正確な理解ができるようになるためには、たとえば道具の傾向、そのいくつかはやはり知っている必要性もある。



常に道具のせいにし無い物ねだり的に探し続けるのは問題だが、なんでも自分のせいにし本当の原因を自分以外に探そうとしないのも、自分がすっきりしながら前進することの邪魔になる。

バランス良くセンターにいるというのは、正確に道具のせいにしたり、正確に自分のせいにする、その見極めができるということだろう。


沖縄県芸レッスン

posted by take at 22:08| 活動報告