2018年02月06日

派生の現実


誰しも、自分の演奏は好意的に受け止めてもらいたいでしょう。それは自分の表現に対する賛辞の所望とも言える。

表現をするということは、快感だったり、ストレスが溜まらないようにする必要不可欠な本能的取り組みだったりする。相手もいて、表現させてもらえる場所というのは、人間社会のコミュニティとしては、サービスフィールドを与えられているとも言える。

自分の表現、普段は言葉だったり態度だったり。これらは実は「自分が伝えたいこと」とも同意語だと思う。

つまり、人間には自分の考えを伝える快感や必要性があり、その相手になってくれる人は有難い存在だとも言える。


実は演奏も同じ。それは表現させてもらえる快感であり、伝えさせてもらえる相手がいるなら、こんなに有難い存在はない。


この伝えたいこと。

実は、自分の中にあるもの以上のことが出てくることはあり得ないのだと思います。

たとえば、自分は5伝えたいのだとして、伝え方が上手かったり、相手の状態にも恵まれていれば、運良く5伝わることもあるでしょう。

伝わりゃ御の字ですね。場合によっては4か3しか伝わらない。いや全く伝わらなかったり、不快として受け止められることもあるかもしれない。

ただ、ここではっきり理解したいのは、5を伝えようとして、6も7も伝わるということはあり得ないということ。

演奏も、自分が思い描いている伝えたい印象以上に素晴らしく伝わるということ無いということ。


で、演奏する人たち、実際には何がどの程度伝わるという希望をもっているのだろうか。

もしかしたら、自分はさほどの内容しか心に描いてないのに、素晴らしく感じて欲しいと、あまりに現実的ではない高望みをしてはいないだろうか。

もしこの高望みをしているとして、そこにあるメンタルの現実としては

「とにかくさらってみた。とにかく吹いてみる。凄くいいと思ってもらえるといいなあ」

なんていう、無理難題な希望なのだと思う。


自分の伝えたいこと以上に素晴らしいことが、不意に派生することはない。無理難題は無理なんだい!!


名曲アルバム収録、川越へ

posted by take at 19:33| 活動報告