2018年02月02日

ハラスメント


様々ハラスメントが話題になりがちな現代である。

セクハラ糾弾は多ジャンルに渡り、それは裏から表へと立ち位置を移動し、ヨーロッパに行き過ぎ警鐘を鳴らす文化圏の国あれば、世界に発信される式典での一丸となった(ように見える)抗議運動テイストが話題の中心になり、突き進む手の弛まないノンストップなアメリカもある。


「権力あるところには、必ずパワハラはあり、そして必ずセクハラはある」


という意見は多い。表になってないけど、うちの権力んとこにもフツーにあるよ、といわんばかりだ。


相手がどう感じたかで、ハラスメントと認定されるかどうかだという真理に対する理解は大分深まってきた。

時代が大きく変わった今、暴力や言葉、パワハラ認定される内容を擁護する人はさすがに少ないだろうが、セクハラに関しては、女性がどう感じたか次第だとの意見は当然根強い。

スキンシップが多いのに、普通の人より女性からの人気が高い男性がいることは確かだ。

同じように女性と接触しながら、方や好かれ愛され、方や時間が経ち女性本人もリスクがあるのに訴えたくなるほどの人間の間には、物凄く距離がある。

この二人、ある意味男として対極にあるとも言える。女性に触れないようにしている男は、この両極の間にいる「庶民」だ。


要は、好かれているか嫌われているかに尽きると思う。

違う言い方をすれば、女性の立場からは、好きにならせてくれないというハラスメント、「ラブロスハラスメント」とも言える。


長い人生をかけて、パワハラもセクハラもしない、ラスハラをしないような人間として成長しなければならないのだが、そうならないために最も内在していなければならない資質を考えると、ひとつの持ち物にたどり着く。


「聞く耳」


これに尽きるのではないだろうか。

特に、30代までに持ち合わせる必要を感じる。

年をとってあれこれ諦め、多少人間として丸くなってからの耳開きではもう遅い。

周りは何十年も聞いてもらえなかったわけで、「何を今さら」と、心からは信用してもらえない。


耳に痛い意見は良いご縁、耳に優しいが真実とは違うおべっか風その場しのぎは冴えない縁。

良い縁も冴えない縁も、皆に同じ割合で訪れるはずだ。

私たちの人生、その運命は、どちらの縁を大事にするかで道が分かれる。

それは、最も大切なこの耳を持つ勇気を装備しているか否かにかかっている。


レッスン

posted by take at 16:31| 活動報告