2018年02月28日

文化的な相性


家人と晩酌をしながら、自分たちがなぜ長く夫婦をやれてるのかの話になった。

同棲含めると30年弱になる長き時間、二人でいろんな経験をしてきた。

時には、僕が家から外ばかりに意識が向かい、距離感が離れた印象の時期もあった。

ただなんだかんだ言っても、彼女はオケもジパングもずっと聞きにきてくれているし、ブロカートも一緒にやってきたし、僕のやっていることを認めてくれていることに対する気持ちが大きな要因かなと思っていた。



「文化的な意識がね……」

突然アカデミックなワードを言うので何かと思ったら「自分は結果音楽と絵画に興味がある人生だけど、最初からそういう価値観が合わない人は無理だったと思う」と。

そういう会話ができるというか、それらしい考え方で生きているというか。

文化的と言うと少し高尚なイメージにもなるが、当然そんなたいした人間ではない。しかし僕が、人生の時間どっぷりその世界に浸る運命になった人間であることは確かだ。


ただ性格がどうとか、経済がどうとかだけではなく、趣向のフィールドとその世界らしい考え方、会話ができる人かどうかは大きかったというのを聞いた時、もしお互いどちらかがそうでなかったとしたら、たとえ優しくても、相手の話をよく聞ける人でも、結果何かを諦めながら過ごすか、もしくは別れていたのかもしれないなあと思う。


先天的相性と後天的相性は、共に運命に影響する。

長く暮らす人生のパートナー。同じものを食べ、同じ話を共有し、認め、反発し、そして助け合い支え合う。

相性との出会いは、確かに命に影響があるほどの運なのかもしれない。


Nーcrafts練習

posted by take at 16:41| 活動報告

2018年02月27日

シャウエッセン・メモリーズ


テレビでシャウエッセンのCMをしている。嗚呼、昭和のあの頃に思いが跳んでいく〜〜〜


シャウエッセンは1985年、僕が二十歳の時に日本ハムが発売し、爆発的に人気が出たドイツ風ソーセージ。

ただ、高校生くらいの時にはもう似たようなやつ、皮付きジャーマンウィンナーは発売になってた気がします。おふくろが「たけのり、これがいにおいしんでー」と騒いでいたのを覚えている。

それまでの赤いウィンナーと違い、パキッという食感快感、そして肉々しい味がたまらなく新鮮で、高度整腸時代によく感じられた、新しい味の幕開けが嬉しかった。


昭和のあの頃〜〜

高校生だったたけのり少年は、学校から帰るとまずは冷蔵庫を開けるという日課(?)がありました。吉川家の食料品チェックですな。

帰りにうどんを食べて帰っても、その後夕飯も直ぐに食べられる時間であっても、必ず毎日開けたものでした。まめなものである。

そして、そこにこのソーセージがあった場合……テープで袋の端を止めてあるやつを、まずはちょっと開けてみたりしてですね……


一本だけなら大丈夫でしょ、とパキッ☆といっちゃったりしてですね、まあおふくろにばれないように、再びテープ巻いてカモフラージュもきちんとして……

もう一本くらい大丈夫でしょ?そだねー、ばれないばれない、パキッ☆☆……

多分もう一本いっても、まだ買ってきたままに見えパキッ☆☆☆……

あー、半分くらいんなっちゃったけど、だったらもう食べちゃって無かったことにしちゃおうかなー、そだねー☆☆☆☆☆☆……



たけのり、あんたソーセージ食べた?一袋開いとらんやつあったはずやけど


そだねー


(`Δ´)/ たけのりい〜〜〜〜!!!!!


N響練習

posted by take at 18:15| 活動報告

2018年02月26日

ソルフェージュへの態勢


「結局、ソルフェージュ能力ですよね」


リズムや音程について、洗練されない奏者の話になると、必ず総括のように発せられる価値観。

まあ、そうなんでしょうが、そう言ってしまうと考察を終わらせてしまわなければならないくらいの実弾ワードであり、もう少し頑張りたくなる。


当然ソルフェージュを積み重ね、身体に入れていかなければならない感覚というものはある。

ただ、ソルフェージュは凄くできるけど楽器になると「ん?」って人はいるし、楽器はいい感じで吹いてて「ソルフェージュは苦手」なんて人もいたりする。


アレクサンダーテクニークのように、身体の使い方はソルフェージュ、特にリズムの洗練に影響があると思う。

うまくリズムがとれるような身体の使い方、そのコツがあるということ。

そこがうまくいってないがゆえに不安定なリズムに対して、ソルフェージュ能力が…とだけ言っても、あまり解決にはならない気がします。


また道具のこともかなり気になりはじめました。道具との相性が「実は」良くないから(本人は気づかず自分のせいだと思っている)リズムの取り方がわからなくなることがある。


そうなると、これら身体や道具に対して多少なりとも探究心があり理解するタイプなのかなんて、人間性の話にもなる。


いずれにせよ「ソルフェージュ能力」という言葉にだけに閉じ込められない現実があり、我々教師も、本当に正確な知識と、どこまでどのようにアプローチするかの判断力が必要になる。

何でも生徒の自主性まかせだとたどり着かないし、だからといって手取り足取り教えたって、限界の壁には直ぐにぶつかる。


この点でも絶妙なバランスが必要。

生徒も教師も、熱意と知識、継続と転換、スタンダードと新規開拓のバランスこそが大事。

どれかが欠けていた場合、あの恐ろしい言葉

「ソルフェージュ能力がねぇ」

が、引導のように発動されてしまう。


N響練習、レッスン

posted by take at 16:54| 活動報告

2018年02月25日

量より網羅


「先生、こないだある中学に教えにいったんですけど…」

生徒が切り出した。

「音階吹ける?って聞いて、Fdurって言ったら、低い方を1オクターブ吹いたんです。じゃあもう1オクターブ上もって言ったら、それは吹けないって言うので、あぁこれは厳しいなあと思っていたら、1オクターブしか吹けないんだけど長調は全部できるって言うんですよ」

「ほぅ!それは初めて聞くパターンだけど、面白い話だね」


実は学校の吹奏楽の現場で一番多いと感じるのは、限られた音階だけやっていて、ゆえに音程間について、スケールとはなんぞやについての正確な理解がなされてないパターン。

B♭dur、Fdur、E♭durのみっつだけをまる覚えしてやってるというパターンは多い。ただ、2オクターブはやるみたいな。


音大へ行きたいとレッスンを受けに来る若者たちには、当然長短音階を2オクターブ毎日取り組むことから要求がはじまるが、それまでやってきてない場合は、網羅できるにはそれなりに時間がかかる。

当然「量が多い」と感じながらスタートすることになるのだろう。


それなら、まず1オクターブだけでいいから、長調だけでいいから12音階吹けるようになってみようかの方が、プレッシャー少なく、しかも早期にスケールの現実が理解出来るんじゃないかと。

しかも1オクターブでも全調やれば、2オクターブ近い音域の音を吹くことにはなる。


で、できるようになればもう1オクターブ広げようでも良いのかもしれない。

音階と仲良くしたがらない受験生、音大生は最も困るパターン。

学校吹奏楽でも、まず1オクターブからでも全部に取り組めれば、その先が変わってくる気がします。

少なくとも「量が多い」は軽減できる。

面白いアプローチだなと思いました。


N響練習、ジパング新年会

posted by take at 02:59| 活動報告

2018年02月24日

大学とは


大学というのは小学校から始まる教育、その最後の学府。

中学までが義務教育、高校も一般的な内容の教育を受けるに比して、大学は

「学生が選んだ専門的な内容に特化して学び、卒業後の仕事や進み方に影響のあるスキルを身に付けていく」

というのが、それこそ一般的なイメージだと思う。

凄く簡単にまとめて言うと「職業訓練も兼ねた自分オリジナルの学びである」と。

これは専門性が高い音大ほどではなくても、一般大学も少なからず同じテイストはあります。


ただ僕自身は「音楽は一生勉強。大学の間だけじゃないなあ」と永らく思いながら、じゃあ大学ではどこまで…みたいに考えていた。


そんな僕の中で、最近ひとつはっきりしてきたことがある。


「大学という場所は生き方を学ぶ場所。音楽の演奏法、その学びを通して、人生にとって最も大切な生き方の根っこを学ぶ所だ」


ということ。

それを間違わずに理解することで、巣立った後も、大切な価値観を胸に生きていける。

そして、僕自身がこれをきちんとわかって教育に携われたなら、その方が楽聖のスキルが伸びることも理解できてきた。

知識や技術、教養だけではなく、生き抜く意味とその向き合い方を染み込ませることで、学舎を離れても、自らの力で豊かな人生にしていける。


大学とは、本当に素晴らしい場所なのである。


N響練習、レッスン

posted by take at 02:29| 活動報告