2018年01月25日

未熟のポテンシャル


目を閉じると、なぜだか小学校の校庭が浮かんだ。

ときどき、本当にときどきでしかないが、思い出す庭だ。毎度その庭から運動場にかけての絵柄ばかり。記憶がその辺りしか鮮明じゃない。


もう一度目を閉じると、今度は中学、そしてそのまま高校のいくつかの場所が浮かんだ。


あの頃は、どんなもの言いだったのだろう。

とにかく人間的に生きてはいたはずだし、毎日様々学んでいただろうし、そもそも性格の根幹なんて変わらないのだから、えらそーにあーだこーだ表現していたのだろうか?


いや、どう考えても社会の仕組みはおろか、人間の心の在り方、成長のこと、コミュニケーションのこと、親子や男女のこと、人生の流れ方含め、なあんもわかってなかったはずだから、言ってることはとても狭く片寄っており、どんなに理屈をこねても独り善がりだったとしか思えない。


音楽のことですらそう。


あの頃聞いたカラヤンの演奏、同じものを今聴く機会もあるが、全く違って聞こえている。弦楽器のことなんて何も、本当に何もわかってなかったし、トロンボーンの響き方だって……


あの頃と変わらないとすれば、周りの中では音楽に関わることがかなり好きな方だ、くらいだ。



今の若者たちだってそう。

わからないことだらけの中で、悩んだりもがいたりしながらも、未来へ向かって今できる表現をやろうとしているだけ。

あの頃の自分より、とてもしっかりしているほどだ。決して頼りないわけではないし、ましてやダメなんてことはあり得ない。


そして彼らも全員、もれなく変わっていく。


楽しみ以外の何者でもない。

残念なのは、倍以上生きている自分が、さすがに彼らの50を過ぎてからの更なる成長を見ることはできないことだ…………多分


休日

posted by take at 14:13| 活動報告