2018年01月18日

最高難易度心感演奏


楽聖に質問される。


「指揮者によって感動したりしなかったりするのはなぜなんでしょうか?」


指揮者のみならず演奏家もだが、僕は、その人が伝えたいものしか伝わらないと思っています。

というか伝わりゃ御の字ですね。結果伝わらない、うまくいかない場合もあるけど、伝える気のないものが伝わることはまずないだろうと。

つまり聞き手の中に派生し残る結果も、発信する側の希望以上のものにはならないと。


「だから、聞いてて巧いなあと思えば巧さを伝えたがってるんだろうし、いい音だなあと思えば音のよさを感じさせようとしている。だから感動する演奏というのは、感動させたいとまで思っている人からのみ生まれるんじゃないの?」


感動してもらいたいとまで思っている指揮者からしか、そんな演奏は生まれない。たとえ楽譜を真摯に再現しただけだったとしても、それが一番感動に繋がると信じているからであろう。


「でもそうそう感動しないよね。巧いなあとか、いいなあとか、凄いなあかっこいいなあと思っても、感動までする演奏ってなかなかない。感動させたいとまで思っている人が少ないのか、みんなそうだけどそう簡単にはいかないか」


いずれにせよ、最高難易度心感演奏は、目指している人しか実現できない。

実はいくらハードル高くても、希望する権利は全ての演奏家に平等にあるんですけどね。


川越へ、N響定期

posted by take at 09:27| 活動報告