2018年01月17日

我が成功


人は皆、自分がうまくいっていることで勝負しようとする。

ここで言う勝負とは、世の中に撃って出るときのことだったり、コミュニケーションの場での相手へのアプローチだったりするが、教育者が生徒に望むことも同様なものを要求し、さにあらずだと非難する材料にしたりする。


しかし冷静に、そして正確に考察すれは、自分のうまくいっていることというのは、我が人生の中で成功している部分であり、それはそのカテゴリーにおいてそこまで成功していない多数の人々いてこそのものだ。

だから、自分が伝えたり勝負したりする段になって、そうできない生徒を非難する

「自分はやってきてできたことで、当然生徒もできるべきで、できない、やろうとしない人間は駄目な資質である」

と考えるのは、間違いだと思う。

実はどんな学舎であっても、先生のそんな価値観レベルからすれば、できない生徒の方が圧倒的に多いのだ。

だから学舎があり教育があり、自分が先生をやらせてもらっている。当たり前のこと。

教師がやるべきは、できる人、できない人が必ず存在するフィールドで、生徒が健全に先へと進んでいく環境を作り、投げ掛けることだろう。

そのためには、まず自らが健全な状態でなくてはならない。

自分の望むとおりに成果を出さない生徒がいても、イライラしないこともそのひとつだ。

生徒が伸びなければ、自分のフィールド作りに問題があると考える方が、余程健全だろう。


コミュニケーションにおいても、自分が強く訴えたくなる価値観、相手を否定したくなる価値観に関しては、自分が年齢を重ね様々経験し、時には他人様から学び理解できてきたものがほとんど。

年長者として、必ず伝えなけるばならないものならともかく、自分の人生の成功の披露みたいなテイストからの、相手を論破したくなるような気持ちになるなら、ほどほどにした方が良いのだと思う。


N響定期

posted by take at 11:43| 活動報告