2018年01月13日

楽譜の限界


僕は以前は「とにかくまずは楽譜の通りに吹け」一辺倒だった。

今は違う。

なるべく早く楽譜を離れてほしい。というか「楽譜とはなんぞや」ということに関して、正確に理解する必要性を感じています。



楽譜が出現する以前の音楽伝達は、口移しだったのだと思う。音楽を思い描いたら「こんなふうに演奏してみて」と歌って聞かせたり、演奏して聞かせたり。

しかしある時期から、それだけでは気がすまなくなったのだと思います。

録音はじめとして残す技術がまだない。歌っても消えていくことがもったいなくなっていき、なんとか自分の思い描いた音楽を形にして残せないかと。

そうして、おそらくいくつもの音楽の代替になる物質が生まれていったのではないでしょうか。

そんな中誰かが、現在私たちも見ている楽譜記号を生み出し、後進たちが皆「これが今までの中で最も良い記号だ」と使い継いできた。


ただ理解しておきたいのは、実はこの記号も、音楽的感情の喜びを全て正確に伝えるには限界があるだろうということ。

人間である作曲家の感情はもっともっと幅広く振れ幅があるはずで、それを記号で表すにもこの形までが限界、これで妥協するしかなかったのではと思っています。

つまり作曲家が記号にした段階で感情は簡略化されており、あとは演奏家という人間の感性の方に委ねる。ということは、ある意味既にスターターである作曲者の手は離れているようなもの。

ゆえに演奏家の感性こそを盛り込み表現として完成させなければ、意味をなさないのだと思います。どちらかといえばそちらの方が重要だと。


だから、いつまででも楽譜の世界にいて、この記号とだけ対峙していてはいけないのだと思います。

楽譜をなぞり音楽の世界観やムードが見えたら一刻も早く記号からは離れ、自分の感情からの感性こそを使い、表現にやり残しが無いよう鍛練する。


とにかく、音楽は人間の感情の産物でありそれ以外ではないこと、楽譜はその世界に存在する苦肉の策のような記号でしかないことこそを、強く理解すべきだと思います。

もしかしたら、口移しの時代の方が、作曲家の世界は正確に伝わっていたのではとすら感じています。


Mーcrafts、松山公演

posted by take at 16:06| 活動報告