2017年12月21日

コピーの先


美術館にて、学芸員の方の説明を聞く。

「この画家さんは、ほぼ独学なんですよ。技法のほとんどは模写から身につけたそうです」

たけ「コピーの訓練だけで、技術が身につくというのは本当に素晴らしいですね。そこから自分で工夫しながら書き方を探していける人じゃないと、まず同じようにできる技術がそもそも見つからないですよね」

「ここなんか筆で書いてるにしては細かすぎて、聞いてみたらまっち棒の先を削ってそれで書いたそうです」



ある大学の先生が嘆く。

「こうやって吹いてみてと示しても、全然同じように吹けないのよ」


コピー能力の話。


本当に全く同じ絵が描けたら、同じ演奏ができたらそれは凄いことだ。本来は簡単にはできないだろうから。

僕はレッスンで一緒に吹くことも多く、時間と共に生徒が似てくることもある。どのフォーメーションでどうやって吹けば一番似るかもわかっていて、時々やっている。

しかしその時似たからといって、価値ある時間になるのかどうかは、実は別の能力が必要。

つまり似せればいい、似られればいいというわけではないということ。


コピー能力、もしかしたら無いよりあった方がいいとは限らないのかもしれない。

ある方がいい、あるにこしたことはない、なくてもいい。わからない。

ただ似せてみようと思うくらいの素晴らしさ、そのエッセンスを繊細に感じ、秘密に気付き、自分流に工夫しながら取りこむことができる、そんな能力こそがなくてはならないのだと思う。


青森からほとんど出たことがないという画家の絵は、美しく輝いて見えた。

フランス画家たちの模写を続けながら、彼の中にあったそんな逞しい能力たちが、こんなに素敵な価値ある個性を生んだのだと思う。


大塚へ

posted by take at 20:29| 活動報告