2017年12月21日

コピーの先


美術館にて、学芸員の方の説明を聞く。

「この画家さんは、ほぼ独学なんですよ。技法のほとんどは模写から身につけたそうです」

たけ「コピーの訓練だけで、技術が身につくというのは本当に素晴らしいですね。そこから自分で工夫しながら書き方を探していける人じゃないと、まず同じようにできる技術がそもそも見つからないですよね」

「ここなんか筆で書いてるにしては細かすぎて、聞いてみたらまっち棒の先を削ってそれで書いたそうです」



ある大学の先生が嘆く。

「こうやって吹いてみてと示しても、全然同じように吹けないのよ」


コピー能力の話。


本当に全く同じ絵が描けたら、同じ演奏ができたらそれは凄いことだ。本来は簡単にはできないだろうから。

僕はレッスンで一緒に吹くことも多く、時間と共に生徒が似てくることもある。どのフォーメーションでどうやって吹けば一番似るかもわかっていて、時々やっている。

しかしその時似たからといって、価値ある時間になるのかどうかは、実は別の能力が必要。

つまり似せればいい、似られればいいというわけではないということ。


コピー能力、もしかしたら無いよりあった方がいいとは限らないのかもしれない。

ある方がいい、あるにこしたことはない、なくてもいい。わからない。

ただ似せてみようと思うくらいの素晴らしさ、そのエッセンスを繊細に感じ、秘密に気付き、自分流に工夫しながら取りこむことができる、そんな能力こそがなくてはならないのだと思う。


青森からほとんど出たことがないという画家の絵は、美しく輝いて見えた。

フランス画家たちの模写を続けながら、彼の中にあったそんな逞しい能力たちが、こんなに素敵な価値ある個性を生んだのだと思う。


大塚へ

posted by take at 20:29| 活動報告

2017年12月20日

悩める昼下がり


学食の陳列の前で悩む。

ランチのゴマだれ豚しゃぶにするか、溶きたまごそばにするか。

そばだとレッスン終了までもたないかもしれないなあ。でも魅惑的な見た目である。美しい黄色のまだら模様。柔らかいたまごの羽毛布団は温かく、口内に優しいに違いないし。


あ、ごめん。


後ろで学生が並んでいた。陳列前を独り占めしてはいけません。先生ですし。

券売機の前で再び悩むが、こここそ独り占めするわけにもいかず、100円サラダをサイドで購入することにし溶きたまごそばで手をうつ。

待っている時の口の中は、なんとなく酸味を感じていた。スーラー湯麺に似ているからか?


一口たべると……酸味はない、そうだよね……辛味もない、そらそうだよね。日本そばに溶きたまごだしね。

ちらりと調味料ブースを見るが、お酢はない。まあ、日本そばにお酢はね……先生だしね。


「あの、お酢ありますか?」

厨房に聞きにいった時は、もう3分の2以上食べた後。

「ありますよ」

かけて何口か食べ、更にほんの少しだけ残ったときにラー油を取りにいき、結局最後の二口ほど、スーラー湯麺にして食べる。


「あと、少しだけ食べたいなあ」

唐揚げを買いに行き一気に食べて

「うぅ……やり過ぎた。胃がぱんぱん。お腹いっぱい過ぎる」


全般的に判断力が欠如した昼下がりでした。そんな日もあらーな。レッスンは好調。


川越へ

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2017年12月19日

発熱誘発的熱放射


先日「プロのオーケストラ奏者は皆さん熱い方ばかりなんですね」と言われた熱量問題ですが……


大学の後輩で、今は音大で楽聖たちと向き合いながら格闘している人から

「先輩の頃から比べて時間と共に熱量というのはどんどん減ってきてる気がします。今の子達は本当に低い。まあ、熱量が高い人が演奏家として残っているのかもしれませんが…」

という嘆きのコメントが聞けた。

おそらく我々演奏家業界、音大の世界だけでなく、あらゆるジャンルで年長者は語っているのではないでしょうか。

「昔は熱い人が多かった。今の若者は皆……」


ただ僕は、彼らに熱が無いのではなく、世の中が放出しにくいムードになってしまったのでは、と思っています。

あの頃は、情報との距離感が今より圧倒的に遠かった。自分に近いフィールド以外のことはかなり不確かであり、外国のことは更にほぼほぼ勘に近いイメージ。若い自分たちも、よくわからんがその時思ったり気づいたりわかったりしたことを、根拠も薄くテーブル叩きながらわーわー語っていた。お前わかってないだろうがえーこと教えたるわ、みたいな勢い。

年長者たちも、そんな未熟な若者をあたたかくほっといてくれていた気がする。というか年長者たちも、思い込みで議論からの喧嘩をし、放熱することにいそしんでいたのではないだろうか。


比して現代は情報が近い近い。ゆえに間違ったことが言えない雰囲気。「テキトーに言うな」「調べてからものを言え」みたいな空気なら、思い込みで熱く語るのは難しくなる。裏付けまで必要なくらい正確さを求められるなら、まことしやかに語る他人の話しを黙って聞くばかりになる。

未熟はだめ、不確かはだめ、正確に、知的に、高圧的にならず、そして優しく嫌われないようにとなると、そら潜在的に持ってる熱も放出する場面なく、抑えるばかり。


ただ、僕はこの後輩の言葉を聞いた瞬間から

「なら、より熱く、うざくこちらから熱を放出して、彼らにうつし、高熱を出してもらうようにしよう」

と心に誓った。自分を抑えるつもりはないらしい。

あの頃の自分の熱は、先輩たちの熱を受け取って涌き出てきた可能性も高いのだから。


「吉川先生、それでいいと思います。後は彼らが、先生の話の中から自分で良いところを取っていけば良いだけですから」

那覇のベテランプレイヤーたちは、僕の思いにエールをくれた。

問題は、最近特に脊髄反射で喋りまくる熱々チンチンの僕の話の中に、良いところがあるのかどうかだ。とにかく自分が熱くなり過ぎて、まるで判断できない状態でありまして……


沖縄県芸レッスン

posted by take at 10:39| 活動報告

2017年12月18日

難来る無いさー


那覇なう


「シャンシャンの観覧抽選落ちちゃってさ」

楽聖「…………」

「まあ、凄い倍率だったようだから(300倍以上)仕方ないんだけどさ」

楽聖「…………」

「来月以降はもっと倍率上がるんだろうなあ」

楽聖「あの…先生、シャンシャンってなんですか?」

「なっ!なに――っ!!今この時代にシャンシャンを知らない女子大生がいるのかーっ」

彼女は両手の握りこぶしを上下させながら

楽聖「シャンシャン♪…カスタネットですか?」

「それ言うなら鈴でしょーがー!!」



琉球には平和な時が流れている。


沖縄県芸レッスン

posted by take at 18:09| 活動報告

2017年12月17日

驚愕のシャコンヌ


ホルストの第一組曲、その一曲目のシャコンヌを勉強していて、本当に凄い閃きと計算でこの音楽が作られていることに、心から驚愕している。

ジパングで編曲し散々やったが、正直ここまで構成もわからず演奏してきました。それがとんちんかんな表現だったとは思わないが、大きな弧の形が理解できてくると、最後にくる感動は計算上なのかそれとも偶然の産物なのか、強い興味がわいてくる。


ジパングの演奏を聞いた人から

「今まで吹奏楽で散々聞いてきましたが、和声の推移とか、こんな曲だったんだと新しい発見がありました」

と嬉しいコメントをもらったことがあった。


実際ほとんど三声以内とシンプルな和音でできているが、最後の直前の音のみ五声部あり、その独創的アイデアの書法に驚くと共に、シャコンヌの形式が見事に組み合わさって感動物語になっているのは、本当に素晴らしいと思うばかり。弦楽カルテット版も聞いたが、バロックの香りも強く漂っているのがわかる。

今回見えてきたこの曲の中にはっきりとある弧からの栄枯盛衰ともいえるエネルギーの推移を、今まで聞いたりやったりしてきた演奏にはない形で、今回KSKではっきりと表現してみたいと思う。彼らのエネルギーと思いこそ、この巨大な強さに相応しい。


実はとんでもなく凄い世界観であり、強靭な実力をもつ名曲だと確信になっていってます。


N響いわき公演
僕はバッハのシャコンヌも今年来年と取り組んでいる。この形式が好きなのかもしれない。

posted by take at 18:30| 活動報告