2017年11月08日

人間的


商品としてのクオリティを最重要視した取り組みからは、どんどん「人間的」が失われていくような気がします。


いろんな指揮者で取り組んでいると、こんな現場でもそう感じる。


合奏において要求される言葉、内容のひとつひとつから「本当に我々をパーツだと思ってるんだな」と思わされる場合も多い。

そうなると自動的に「はみ出ないように」とか「とにかくバランス」とか「合わせて合わせて」みたいになっていく。

指揮者からはそれでも全体が整っていくのが良いのだろうが、我々一人一人の表現意欲にはリミッターがかかっている。


商品にもよるのだろう。安全性が何よりも大事なものとかは、とにかくクオリティの高さが最重要というのはわかる。

しかし、人間が人間の喜びに対し生み出す商品なら、クオリティより大事にした方がよいことはあると思う。

もちろん、クオリティが低くても良いという甘さを支持するつもりはない。

しかし「商品としてのクオリティ」が高くても、携わる人の犠牲が一定量を超えたり、機械的、数値的、勝負的に走ったものは、人間としての真の喜びにはたどり着かない気がします。

つまり人間的ではなくなっているのではないでしょうか。


商品としてのパーツを信じるのではなく、パートを担っている人間を信じる。信じて任せ、慌てず、真摯に、情熱をもって相対する。

本当の価値は、そんな人間的な人によるものにこそあるのだと思います。


N響定期練習、ジバング

posted by take at 17:16| 活動報告