2017年11月10日

うんどう


『運動』
物体の位置が時間とともに変化すること。物体の運動を表わすには,物体の各点の位置を時間の関数として与えればよい。物体の任意の運動は,その各点が代表点と平行に動く並進運動と,その代表点のまわりの回転運動との合成運動とみなせる。運動はもともと基準体に対する相対運動だけに意味があり,特定の基準体に対する絶対運動は考えられない。古典力学によれば,ある時刻における物体の各点の位置と速度がわかれば,ニュートンの運動方程式によって,その後の物体の運動の様子が完全に定まる。


『雲藤』
雲藤 義道(うんどう ぎどう、1914年7月8日 - 2000年11月2日)は、浄土真宗の僧、仏教学者。


『un due』
フランス語の数、1と2


『ウーン…ドーン!!』
喪黒福造による唸りからの制裁


『おうどん』
麺大上手 最後の聖麺


川越へ

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2017年11月09日

どうおん


『同音』
1 同じ発音。同じ読み。
2 同じ高さの音、声。
3 声をそろえて言うこと。同時に言うこと。


『導音』
全音階の主音から短2度(半音)下の音。短調では和声的短音階、旋律的短音階の第7音である。ハ長調ではシ、イ短調ではソ#の音。


『丼』
どんぶり


『ドーン!!』
喪黒福造からの制裁


『おうどん』
美しく白きうどんなう



N響定期練習、ジパング

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2017年11月08日

人間的


商品としてのクオリティを最重要視した取り組みからは、どんどん「人間的」が失われていくような気がします。


いろんな指揮者で取り組んでいると、こんな現場でもそう感じる。


合奏において要求される言葉、内容のひとつひとつから「本当に我々をパーツだと思ってるんだな」と思わされる場合も多い。

そうなると自動的に「はみ出ないように」とか「とにかくバランス」とか「合わせて合わせて」みたいになっていく。

指揮者からはそれでも全体が整っていくのが良いのだろうが、我々一人一人の表現意欲にはリミッターがかかっている。


商品にもよるのだろう。安全性が何よりも大事なものとかは、とにかくクオリティの高さが最重要というのはわかる。

しかし、人間が人間の喜びに対し生み出す商品なら、クオリティより大事にした方がよいことはあると思う。

もちろん、クオリティが低くても良いという甘さを支持するつもりはない。

しかし「商品としてのクオリティ」が高くても、携わる人の犠牲が一定量を超えたり、機械的、数値的、勝負的に走ったものは、人間としての真の喜びにはたどり着かない気がします。

つまり人間的ではなくなっているのではないでしょうか。


商品としてのパーツを信じるのではなく、パートを担っている人間を信じる。信じて任せ、慌てず、真摯に、情熱をもって相対する。

本当の価値は、そんな人間的な人によるものにこそあるのだと思います。


N響定期練習、ジバング

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2017年11月07日

ヒーローのピーク


かなり疲れているのだろうか。松山空港にてお土産を買い小銭で払おうとして


「少し細かいのでござるが……」


ためらいゼロで流暢に武士ってしまった。

店員はクスリともせず「はい」。


僕はもちろん壊れているが、そんな彼女はどんなもんでしょうか。


N-crafts、四国中央市にて学校コンサート
買い物して支払って「ごちそうさま」と言った経験はあたしだけ?

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2017年11月06日

道具選びの哲学


このモデルはいい楽器だ、と表明するのはなんの問題もないと思う。

ただ個人的に思うのは自由だが、生徒や他人に「この楽器は勧めない」というアプローチは、それこそ勧めない。

たくさんの人が音の趣向だけで楽器を選びがちだが、僕はそれは危険もあると思っています。

いい音出る=自分こその表現が出来るもの、とは限らないから。


その自分こその表現というのは、人それぞれ求めるレスポンスが違うはずだから、そここそを自分の判断で選ぶべきなのです。他人や先生が介入すべき領域ではない。

問題は、自分こその表現がうまくできないものを、「音がいいから」とか「みんながいいと言ってるから」とか「上手い人が使っているから」なんて気持ちで納得しようとすること。


楽器選びこそ、価値観と共に生きる人間として自立しているべきだと思います。


松山入り

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