2017年11月25日

怖くない日々


人生というのは、ゆっくりと長い時間をかけて、怖いものが無くなっていくということなのだと思います。

小さい頃は怖い夢を見て泣きながら起きてしまうこともあった。

世の中の現実や仕組み、人の心のあり方なんかがわかってくると、だんだん怖いものは減ってくる。安心や喜びの種類が変わってくる。

怖いものは、現実的には存在している。熊はいるし銃もある。サイコパスはいるし猟奇殺人を犯す人も。サメもいるしヒアリも。そして戦争をしたがる人間。

ただこれらは、でくわさなければ脅威にならなくてすむ。私たちの日常では、多少危ない瞬間はあれど自衛もどんどん覚えていき、安全からの安心も増えていく。つまり怖いものは減っていく。


これは楽器との人生でもかくあるべきだと思います。怖いものがどんどん減っていき、喜びが膨らむべき。

楽器の演奏での怖いものとは

「難易度の高いもの」
「どうやっても様にならないこと」
「出ない音」
「スタミナがもたないこと」

なんてことだろう。

実はそんなことこそ、手をつけず遠くへ追いやるのではなく、毎日のルーティンにして身近に置く。そうやって特別なものではなく「当たり前の普通のこと」にしていくのが得策だと思います。


ピータームーアやバボラクのような神童とも言われた人は、10才前後で16分音符や32分音符に溢れた、我々からすると超難易度の高い楽譜を疑問をもたず当たり前にやっていた(やらされていた、少なくともバボラクはそう)のでしょう。

怖いものだと感じる間もなく、やることが当たり前みたいな。

そう感じれることばかりになり、感情を自由に音にのせられるようになっていくために、


「怖いことこそルーティンにし身近で付き合う」


僕なら今のところ、ダブルタンギングと下降のリップスラーです。


N響練習

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2017年11月24日

潤沢


最近気がつくと、「潤沢」という言葉をよく使っていたりする。


【潤沢】
1 ものが豊富にあること。また、そのさま。「潤沢な資金」
2 しっとりとしてつやのあるさま。うるおいのあるさま。また、つややうるおい。「潤沢を帯びた黒髪」「潤沢な瞳」


なんか好きみたいです、この言葉。

いいと思いません?身体と心に健全なものがそこにある気がするんです。優しさや香気も感じる。財産がふんだんにあるイメージも。余裕に繋がり、無条件で嬉しくなるような響きを持っています。

今一番欲しいのは、やはり

『潤沢な響き』

ですかね。もう活字自体が素敵すぎますね。


川越へ、ジパング

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2017年11月23日

驚愕の事実


タッパも足のサイズも大きいと言われている和田アキ子さんが、実際にはどのくらい大きいのか、気になったことある人ばかりですよね、ね、ねっ!


なんと身長176センチ、足のサイズは26.5なのだそう。


んっ?!……僕とまっつくついやないかあ〜〜〜〜〜〜〜っ!!!!!!
(まっつくつい・讃岐弁でまったく一緒の意)


現実的にイメージしたい人は、僕を見てください。このサイズです。

イメージしたい人ばかりですよね、ね、ねっ、ねーってばあ!!!


KSKウィンターコンサート練習

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2017年11月22日

ジパングの季節です


今年のジパングは12月2日、土曜日の7時から杉並公会堂です、荻窪ですよー。

毎年、自信をもってプログラミングし、仕上げて本番をしているつもりですが、今年のコンサートは


(`へ´) とにかく楽しいっ!!


オープニングは久しぶりに、本当に久しぶりにコーエンのアンダンティーノを。初期の頃よくやってました。

やっぱり凄く綺麗なんですよね。響きも素晴らしい。のっけで超気持ちよくなっていただけるはずです。


レジデンスコンポーザーの高嶋さんとの共同作業、昨年はアレンジだったので二年ぶりの書き下ろしになります。

「無言館にて」の無言館とは、美術を学ぶ若者たちが作画半ば、志半ばに赤紙と共に戦地へと赴き、完成を夢見ながら帰らぬ人となった未完の作や、残された絵画が集められた長野県上田にある美術館。

そこを訪れた高嶋さんの深い悲しみと平和への祈りが、選ばれた音により紡がれたもの。反戦への気持ちそのものが、聞くべき音楽です。


カトル・ア・カトルは最近流行りまくってますね。あらゆるカルテットが演奏しまくってる。

この屈託のないとにかく楽しい音楽たち、ジパングらしいパフォーマンスにします。よそとは一味違う形ですよ。お楽しみに。


後半は、万を辞してクリスマスミュージックたちの登場になります。リクエストはあったのですが、アンコールくらいでしかやってきませんでした。

10曲以上、ガッツリやります。い〜い曲、有名な曲ばっかり。とにかく美しく、とにかくハッピー。

僕らも楽しみきりますが、サンタもやってきて一緒に皆さんへ音楽のプレゼントをする予定。


トロンボーンでクリスマス、美しくクリスマス、気持ちよくクリスマス、そしてとにかく楽しく楽しくクリスマスです。 ヽ(´▽`)/

皆様是非。


大塚へ

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2017年11月21日

楽譜を読む


大丈夫でした。 (T_T) ←これは嬉し涙です。

実は気づいてなかったのですが、F管がうっすら凹んでました。そこがダメージを吸収してくれたよう。

「吉川さん、大丈夫だから。全部数値計ったけど問題なし」

ありがと〜〜う、飯塚。

あとは練習して自分のものにするだけです。以後気をつけます。



昨日のソロ・リサイタルズ(おさらい会から改名)の反省会にて、ピアニストの方が楽聖に投げてくれた言葉で心に残ったものがあった。

「みんな、もっと楽譜を読んで。もっともっと読まないと」

ピアニストは、実は練習できない環境では(そもそもピアノが無かったり)本当にできなかったりするだろうから、楽譜と対峙し音符の行間を読むことも多いのだろう。

その点、自分でスペースさえ探せば音が出せてしまうわれわれは、ついつい楽器で練習することばかりをしがちだ。

譜読みも終わり全体像がぼやっと理解した後も、譜面を読みながら更なる理解を探し、自分こその音楽を妄想することせずに

「とにかくさらってしまう」

ということをしがちだ。音は並んでいっても、構成や世界観から浮かび上がる魅力に満ちた音楽にならないまま完成させてしまうことも多い。

音楽とは音の羅列ではなく「作品」なので、作品としての主義主張、存在理由、意味を持つ出来上がりというものは純然とある。


バレンボイムがベルリンに作ろうとしている音大では、もれなく指揮に携わることが求められるようになると聞いたことがある。

スコアを読むことで、全体の構成を感じるようになる。流れや起伏、物語の作り方を知って楽器の演奏に携わるためには、指揮をやらなければならないとの判断だろう。

実は、僕自身指揮をしながらわかったことは多いので、少なからず理解できることだ。


楽器は、うまくなることは大事だが、それは音楽を存在させるためのツールでしかない。

「楽譜を読みなさい」は、とても大切な投げ掛けとして、改めて重要視したいと思った。

もっともっと読んで、もっともっとさらってを、もっともっと繰り返してだろう。


ジパング

posted by take at 17:17| 活動報告