2017年09月09日

具体的に生きる


「あの人は現実が見えてない」

なんて言葉がある。ひぇ〜〜っ。


実は世の中のハードルは厳しく高いのに、それがわからず、夢見がちに語ったり暮らしている人を評してのものだと思います。

まあ厳しい言葉であり身につまされます。誰にだって多かれ少なかれある部分だと思いますし。


こう言われてしまう人というのは、本人が語っている希望の内容が具体性に欠ける部分があるのではないでしょうか。


あなたはどんな演奏がしたいのですか?

「いい演奏がしたいっす」

どういい演奏ですか?

「まあ、それはまあ、とにかくいい演奏がしたいっす」

いい演奏ができなそうに感じますよね。


本人の方から自発的な発言やアピールがなくても、どんな音出したいですか?と質問されると「いい音出したいです」と、なんらか答える人ばかりだろう。

なんらか答えるだろうが、本当に常日頃から出したい音のイメージが宿りながら取り組んでいるかは疑問だ。

どんないい音ですか?

「えっと…………とにかくいい音です」

いい音でなさそうです。


「音楽業界で働きたいです、好きなんで」

どんな仕事を?

「と、とにかく音楽業界で、好きなんで」

こんな人は、結果違う世界に行くのではないだろうか。


いい演奏もいい音も、自分の未来の立場も、そんな希望や夢と言われるものには、漠然とした大きさからはボヤけた力しか感じない。

どのようにいい演奏なのか、どのようないい音なのか、業種ではなくどういう内容なのか、ある程度具体的なものが宿っており、口にできた方がより現実的であろう。


かつては悪い意味だった「こだわる」という言葉。「あの人はこだわりのないいい人」なんて言われ方をしていた。昔の方が、よりグローバルな視野を持つ価値観が強かったのか。

時代は変わり、ひとつのことに執着したり深く掘り下げる「こだわり」は美徳となった。

このこだわりの変遷を象徴するが如く、社会はかつて嫌悪の対象でしかなかったオタクを認め受け入れていった。

昔はセーラー服を着たおじさんは警察に連行されただろうが、現在は山手線に乗っている。

このオタクの容認への流れ、僕は少なからず不思議で時折考えていたのだが、社会が横並びいっしょくたではなく、少数派の濃い価値観を認めていったのには、彼らのスタンスに「具体性」が感じられるからかもしれない。

セーラー服を!!着たいという具体性。


いや、これ真面目に思ってるんですよ。



人間は、自分の目の前の時間、その取り組みに具体的なテイストをもたせ、そこに意味を感じることが、人生を充実させる秘訣なのではないでしょうか。

少なくともうまくいかず悩んだり迷宮に入り気味な人は、この具体性にかけているような気がします。

結局、成功している人も含め、人間はなにかしら具体的なことと向き合っているばかりなのですから。


Q日

posted by take at 14:28| 活動報告