2017年09月25日

君は……て


音は立体的に鳴り響くことが大事。

それは「広げること」と「まとめること」を、両方バランス良く、しかも距離感においては妥協せず追い求めるということで、それぞれは意識する到達方向が異なる。

楽聖たちは、みな魅力的な音になりつつあるが、この観点ではかると、誰しもがどちらかに片寄り気味だとわかってきた。

つまり

「君はもっと広げて」

「君はもっとまとめて」

と言うことになる。


今まで見つめなかった二択的感覚だが、これを皆で理解しながら共有し、各々が自覚するのは悪くないようだ。

というか、とても大事なポイントなような気がしています。


N響定期練習、川越へ

posted by take at 21:59| 活動報告

2017年09月24日

甦る山の上の奇跡


千葉少年少女オーケストラの佐治先生から、素敵なエピソードを聞きました。

オーケストラは先週今週と本番が続くという、多忙なスケジュール。先週はピアノコンチェルトを四曲演奏するという大変なコンサートだったのですが、その本番が終わった後、子供たちが自発的に今日やる運命の一楽章を練習しはじめたそうなのです。

楽屋で指揮者と話していた佐治先生も、聞こえてきた練習に感心したそうですが、驚いたマエストロがその練習を指揮してあげたそうなのです。

そんな子供たちの自然発生的な練習は、それだけで感動的。音楽に対する情熱は世代関係なく湧き出るのですね。



ふと、かつての合宿での出来事を思い出します。

伊豆の大仁、山の上の人里離れた合宿所。その年はデュエットを課題にし練習、発表をプログラミングしていました。

課題曲はペダーソンの「プリザント・モーメンツ」。夕食後に、ピアノでこの美しい曲を弾きはじめた楽聖がいました。

すると別の楽聖がそれに合わせて自分のパートを歌ったのです。

更に彼女のパートナーが、寄り添うように歌いはじめデュエットになりました。すると1人、また1人と楽聖たちがピアノの周りに集まり、気づくと全員での合唱に。


僕は感動して泣いてしまいました。


音楽の神に呼ばれるように自発的に生まれた歌声が、価値ある輝きを放ち、心から演奏を慈しむ彼らを本当に素晴らしい存在だと思わせてくれたのでした。


千葉県少年少女オーケストラ演奏会、指導

posted by take at 21:08| 活動報告

2017年09月23日

千葉県少年少女オーケストラに出演します


実は明日、千葉県少年少女オーケストラの指揮をします。

千葉県が県民の文化活動の発表の場と、文化芸術の鑑賞機会を目的に毎年開催している「中央行事」。その大ホールのイベントに千葉県少年少女オーケストラが出演するするので、その指揮を頼まれました。


9月24日(日)13時開演

会場:千葉県文化会館 大ホール 入場料:無料(全席自由)

出演:千葉県少年少女オーケストラ
ハインリヒ・ハイネ大学合唱団 UNICHOR 他

≪千葉県少年少女オーケストラの演奏曲目≫

ビゼー/カルメン前奏曲
シューベルト/「ロザムンデ」序曲 作品 26
ベートーベン/交響曲第5番「運命」より第1楽章
バッハ/主よ人の望みの喜びよ
エルガー/威風堂々
ほか


今朝そのリハーサルをしに千葉県文化会館へ行ってきました。


音楽監督の佐治先生のことはかつて出版された本で知っていて、このオーケストラも随分前になりますが聞きに行ったこともありました。

10才から20才までの子供たちで構成されたオーケストラ。「日本で一番上手いアマチュアオーケストラだ」と評する人もいるくらい。実際とても上手で可能性の宝庫です。

いろんな話を投げ掛けると演奏もどんどん変わっていきます。こちらを見つめる眼差しもピュアそのもの。

できる限り表情豊かな演奏になり、彼らの人生の土台作りの時期、未来にプラスになる経験になるようベストを尽くそうと思います。


千葉県少年少女オーケストラ練習、N響定期

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2017年09月22日

母音話


音を明るく感じるのは、感じる母音としては平仮名の「あ」になると思う。

しかし自分の手元(口元?顔元)で「あ」を感じるだけだと、ただ広がったそば鳴りの音として終わる、または力んだ音、低い倍音の少ない賑やかな音になる可能性もある。


遠くを意識して、息そのものを遠くへと筒のように吹いた場合、感じる母音としては「お」になるのだと思う。

これは必要なシラブルだが、こちらにシフトしすぎると、暗く美しさの要素が少ない音になる可能性もある。


要するに「あ」も「お」も必要だと思うのだが、じゃあ間か?と「う」を感じるのは違う気がします。

「う」になると、詰まった力みの種になる。


口の中は実際には「お」で、音色に「あ」を盛り込むという感じか。

でも「おー」と言いながらアンブシュアを作ると、筋肉としては変な向きになるので、「お」だけとは言いにくい。


厳密に言えば、音域や音量、ニュアンスによって変化するし、そもそも「あいうえお」全て混ざっているのかもしれない。


N響定期

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2017年09月21日

本当に価値ある演奏


とにかく演奏を整えたがる自分がいる。整った演奏からは曲本来の姿が見えやすいし、その方が聞き手も感動するだろうと思ってしまうから。

年々その思考が強くなっているのは、N響の演奏自体もともと整然としているのに、昨今はより整っているからであり、その方が「うまい」となるし、解像度高く快感も多いから。

最近の指揮者も、整えることに重心がある人は多い。最初整えて、それから歌うみたいな。

ただ冷静に感じたいのは、「整っている」というのは魅力のひとつの側面であり、整えたあかつきに、もし自由さに限界がくるのだとしたら、明らかに


「整えることではない何か」


が必要だとなる。


それを探し求めながら、やはり日々整えるのだと思う。「雑然としている」という評価になったのでは、今の時代通用しないのだから。

『冷静と情熱のあいだ』は映画にもなった小説のタイトルだが、演奏の現場には必要なものとして渦巻く感性だ。

聞き手の感動、喜びに貢献できる演奏とは、整然と何のあいだなのだろうか?


N響定期練習、川越へ

posted by take at 12:32| 活動報告