2017年08月14日

教師の責任


「今の時代は、なんでなんでも子供の意思を尊重して、彼らに決めさせてなんて流れなんでしょう?」

現場で頑張るある教師の嘆きを聞いた。


この流れの根幹にあるのは、その人らしく生きてほしいというのと別に、責任感を育てたいという美しい気持ちと、自分が責任を負いたくないのでという厭らしい気持ちの両方が混ざる価値観があるように感じられる。うがったような見方ですが、自戒の念も込めてです。


このフラストレーションを解決すべく、完全に反対をやるというのは、

「一人一人の子供の意思、希望、個性はおいておいて、全て上意下達でやるべきことを指示し、教え、伝える」

となる。

それこそ今の時代だとこの言葉に恐怖感すら滲んで感じるので、多分うまくいかないだろうというムード満々だが、それでも個別に対応したりするよりうまくいくこともあったりするのだろう。


きちんと上意下達で伝えなければならないこと、要求しなければならないことと、その上で若者が自らの沸き上がりを主張することの両方でしょうね、必要なのは。

何こそをはっきりやれと言い、何を探せと言うのか。それを的確に知りたい。


教師に必要なのは土台造りでしょう。逞しく力強い土台。これこそを間違わずに要求し、あらゆる可能性に自らが応えられる人へと導く。

土台の重要性を教え、要求し、そこには教師として責任をもち、後は見つめ続ける……


高松一高レッスン

posted by take at 15:37| 活動報告