2017年08月26日

厳失礼の産物


今朝『にじいろジーン』を見ていたら、はるな愛ちゃんが、嫁姑ダブル変身のコーナーで島根は出雲を訪ねていた。

大西賢示さん大阪出身ですが、昨年から出雲の観光大使やってんのね。(愛ちゃんの本名もギャップが楽しいが、沖縄宜野湾出身のりゅうちぇるが比嘉龍二ってのがかなり好みス)

愛ちゃんも女性たちも会った時の女子定番で、両手胸前サヨナラ風くるくる挨拶からの「愛ちゃん可愛い!」はよかったのだが、いつもと違ったのは、

「愛ちゃん太った?」

といきなり実弾をくらっていたことだ。

世界一の美貌との過去の栄光を誇る愛ちゃん、視聴者はたいてい感じていることとはいえ、いきなりのド素直直球に対し、流石お笑いタレント(?)

「しーっ!!それ内緒っ!!!」

と反す辺りは見事。微笑ましい限りでした……


ふと思ったのだが、「世界一になったあの時の愛ちゃん、本当に世界一の美しさやったね」とまで本音の上乗せしたら、彼女本気でダイエット始めるんじゃなかろうか。

人ってそんなもんですよね。

普段はみんなきぃつかって言わないようなマイナスも、不意に聞くことになることで、それが頑張りへの転換のきっかけになる。

「あなたもともと綺麗だけど、もう少し痩せたら本当に凄い美人なのに」との発言で、本気ダイエットからの変貌を遂げた人の話も聞いたことがある。

マイナスなことは聞きたくないし、言った方が非難されることは多いが、好転のきっかけになることもある。逆に誰からもそこを突つかれないままいって、結局そのままずるずるとの結末になる可能性もある。

根性がわくという論点でも、人は誰しも自分1人で生きているわけではないのですよね。厳しい社会が人を幸せにすることも純然とあります。


ということはですよ、ふとアホなこと思ったんですが

「君、音悪くなった?前の方が惚れ惚れするようないい音だったよね」とか

「なんか音小さくなった?前の方が凄く大きく鳴ってたよね、あの頃かっこ良かったわー」とか

「もともとテクニックあるけど、もう少し鮮やかに吹いたら世界一やのに」なんて、嘘でもいいから言ったら(言われたら)、人は変われるのだろうか。

いやん、怖すぎるからそれが本音でも聞ける勇気ないわあ。


でも……


N響弘前公演

posted by take at 11:36| 活動報告

2017年08月25日

辛味の実力冷麺編@盛岡ナイト


まあ、辛いもんが好きかどうかは人それぞれなのですが……

盛岡にて、セクションの仲間が昼御飯に焼肉屋の名店『食道園』の冷麺を食べにいったよう。僕は別行動。

そこでの冷麺がとても美味しかったのもあり、夜の焼肉宴会の予約もしてきたと。その「N響夜好煙」には僕も参加しました。

散々焼肉り、彼らはご飯をもらったが、僕は噂の冷麺を。

これがですね、なんと辛さが四段階もあって


別辛 初めての方、辛いのが苦手な方
普通 お薦めです
辛  普通の二倍の辛さ
特辛 普通の四倍の辛さ


まあ普段の僕なら辛を選ぶと思いますが、昼食べた連中が特辛を進めてくる。「辛を食べたがもっと辛くてもいいと思った」と言うのだ。

でもなあ、彼が辛いもん好きでハイレベルなのかもしれんし……ま、いっか、よっぱらってるし、大丈夫やろー、人生勢いが大事や!!ということで特辛を。

これが、確かに辛過ぎて食べられないというレベルではない。

それどころか、ピリピリがやたら美味いぢゃないか。普通の冷麺を頼んだ人から一口もらったが、断然特辛の方がいい。


しばらく食べて気づいたのだが、抜群に美味い柔らか焼肉の甘味、そこに更にタレの甘味と「甘美味」で進んだ時間、よくある洗い流すが如くのさっぱりテイストの冷麺も美味いが、この絶妙なピリピリが過去の甘味も膨らませているように感じました。

冷麺だけ食べるなら、辛くないのもいいだろうが、焼肉の後は辛いのがいいなあと。

これも、コース料理的魔術のひとつか。


食道は決して炎上するはことなく、素敵な食道縁を感じさせてくれたのでした。


N響盛岡公演

posted by take at 09:36| 活動報告

2017年08月24日

振り返るか否かの分岐点


最近、見てくれている何人かの人から続けて、このブログを書籍にして出版すればと、提案してもらう機会がありました。


まあコラムっぽいテイストが多いとは思いますが、思い付くままなブログはブログなので、出版するなんてことは恥ずかし過ぎるのですが、ただ実はやってみたいことがひとつあるのはあるのです。

というのは、もう6年近く2100回以上書いてきて、自分でも何をどう書いたのかは把握できる分量ではなく、また読み返すこともないので僕自身がやりっ放しなのですが、一度復習みたいなことはしてみたいのです。

あまりにいろんなジャンルでまさしく四方山話なので、カテゴリー別に分けて整理しようと思ったこともあるのですが、それも面倒くさく。


ただ、自分自身が印象に残った産物、また人から「あの話が良かった」「考えさせられた」なんて有難い感想をもらったものもあり、そういうのをどこかにまとめて整理したい気持ちはあるのです。

自分でも、全て読み返すのは物凄い時間がかかる。これからはもっとそうなるので、ここいらがやるかやらないかの最後のチャンスかなと。

とにかく、自分でも放ちっぱなしで全く振り返らないのはどうかとも思うのです。


このブログは、自分で始めたものでありなから、僕の人生の時間や流れ、考え方を結果大きく変えてくれたものでもあります。自分の価値観の核を、いくつかにまとめることで感じてみたい気がしています。

そうすれば、真の客観視に近づけるかという期待もあります。


N響秋田公演

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2017年08月23日

旅のお裾分け


チューバの池田君がこの夏、四国八十八ヶ所お遍路参り三年目、愛媛編をやっていたこと、関係者はよく知る事実ですね。

今日彼から、道中のいろんなドタバタ話を聞きながら二人でケラケラ笑っていた。


大学時代からの友人たちとの旅だが、Facebookで繋がっている人は、かなりの頻度でアップされる写真たちを楽しむこともできた。

なんだかシリーズ化された番組のようで「今年も待ってました」みたいな書き込みあったし、一緒に廻っているようとの感想もあったらしい。


同じような気分が、かつて僕にもあった。

大学の生徒が、二週間のウィーン研修の間、一時間おきくらいにかなりの枚数写真をあげていたのだ。

凄い時には、一気に30枚以上あった時も。

こうなると記念撮影ではなく、気になるものを思い付くまま撮っているよう。道端、建物の壁、食べ物、ちょっとした風景……

僕は気がつくとそれを見るのを楽しみにしていた。

一緒に、知っているウィーンを旅してる気分がわいたりしていたのです。


帰国した彼女にそれを伝えたら「あげ過ぎって言う人もいたんですが」と。「僕は楽しんでたし、ああいうのも特徴あって面白かったよ」と言ったのを思い出します。


いろんな旅の仕方がありますが、実況中継的な写真たちはわくわくのお裾分けをいただいてる感じで、新しい繋がりを実感しています。


N響練習

posted by take at 18:19| 活動報告

2017年08月22日

そば鳴リスト


お盆の時期に数日大学が入れなかったらしく


楽聖「せんせえ、どこかいい河原ないですかね?」


いや、俺、河原フリークぢゃないし。

たけ「荒川とかいきゃいいんじゃないの?」

楽聖「部屋でプラクティスミュートで吹くのとどちらがいいですかね?」

たけ「そりゃ、橋の下とかの方がいいよ。響いたりするし」


そこから、狭い部屋だが一人で吹ける空間と、広いが大人数が音を出している空間とどちらが良いかという話になった。

結論から言うと、実はどちらもどちら。広い部屋で一人で吹けるのが理想。それは誰もがわかっているだろうが、その理由も正確に理解しておきたい。


実は狭い部屋もみんなで吹く広い部屋も 「距離感が近くなる」のは同じである。一番の問題はそこにある。

狭い部屋は、どうやっても壁までの短い距離しか感じにくい。

自宅の防音室で数日さらう。どんなにバンバカ吹いたとしても、跳ね返ってくる音の近さ、視界の近距離はいかんともし難い。その後、広い空間へ戻った時に以前との吹奏感の変化に違和感があり、「やっぱりずっと狭い部屋じゃだめだな」となる。

実は空間が広くても、他の音が鳴っていると、耳がその音を排除し自分の音を聞こうとするので、結果ベルの辺りばかり意識することになる。つまり距離感が近くなるのは同じなのだ。


普段自分が長時間さらう、ある意味そこで自分の音が作られていく場合、どのような空間にてであれ、この距離感に対する価値こそを意識したい。

現実的に近距離が主になるなら、ホールや遠くまでのビジュアルに対する妄想力は不可欠。

たまに河原に立つのだとしたら、遥か向こうの具体的な対象を意識できないと、跳ね返りのない屋外にて自分のベルばかり意識する、つまり結局距離がなくなっていることもある。

でかい音で吹ける、フォルテで吹ける空間を選ぶことは大事。しかしこの距離感を自分こそがもたないと、結局楽器が豊かに響かないか、頑張って吹いているがそば鳴リストになってしまうかどちらかだ。


ジパング

posted by take at 17:03| 活動報告