2017年07月21日

教師とは


音大の教師は一体何を求められているのか、考えます。

本当は考えるも何も、はっきりしてるはずですが(常識だったり、大学からはっきり言われたり)、楽聖自身が目的がはっきりしていなかったり、周りの教師のスタンスと随分違って感じたり、大学自体もはっきりしてるのかわからなくなることもあったり。


まあ他人は他人、周りは周りということで、僕の場合、内容に関しては幅をもたせてある意味自由にやらせてもらっているが咎められないので、環境と人には大いに感謝すべきです。


多様な楽聖の価値観に全て合わせることは難しいので、ある程度上意下達的に内容を要求することになる。

なぜなら、教師として「これくらいは上手くなって欲しい」という目標があるからで、これなくしては伝えようがない。彼らのやってくることに対応してるだけが教師なら、僕にはまずやる気がおこらない。

18才から22才までは、さ迷ったり漂ったりし、見失うこともある年齢だったりするので、辛くなっている楽聖もいるが、これまたなんとかして定まるように、慌てずゆっくり見つめながら、尚僕こそがはっきりと指針をもち示すことが大事だと思う。

教師としてのプライドというのは、教師こそがはっきりと目標をもち、悩み苦しみながら若者を導くために妥協しないこと、限界を自分の中に定めず、諦めないことだろう。楽聖一人一人を信じて叱咤激励し、彼らにこそ限界と諦めをもたせない。


敢えて教師に求められているものを定めるとしたら、このプライドなのかもしれない。


沖縄県芸レッスン

posted by take at 10:03| 活動報告