2017年07月17日

やらせてもらっています


「〜をやらせてもらっています」

現代ではほとんどの人が使うこの言葉。かつてなら「〜をやっています」と言うのが当たり前だった。

周りのおかげで自分がやることができている、自分の力ではなく実は皆さんの力なのです、ともとれるほど謙虚なテイスト。そして必要なメッセージとして「感謝の気持ちをきちんと宿しています」が聞き取れる。


全ての言葉、文化がそうだが、皆が違和感も恥じらいもなく当たり前に使えるように浸透したあかつきには、心にその気持ちが無くても臆面もなく言えるようになる。というか(特に日本人)これは言えて当たり前。言えないことに問題があるみたいな。そんな常識あいさつのようなテイストになる。


今朝、渡辺謙の不倫釈明記者会見のニュースを見ていて、ふと感じたことがあります。

彼ほどの実績をあげてきた人間でも、ブライベートのミスによる今後の仕事への影響が話題になります。もちろんイメージ業でもあるし有名人でもあるからですが、もし彼が今後仕事が激減したり、あり得ないができなくなったとしたら、本当に今までの仕事も

「周りによってやらせてもらっていた」

ことになる。やらせてもらえる時はやらせてもらえるが、そうじゃなくなればやらせてもらえなくなる。

そうはならないだろうし、今回のことで、今後も今までと同じようにやれるなら、それこそ有り難さからの

「皆さんのおかげで、やらせていただいて、感謝にたえません」

との気持ちが、素直に宿るだろう。


「自分の力だと思わずに、謙虚に生きなさい」と、若いころ叱咤してくれた親や年長者も、成功した自分が「やらせてもらっています」と言うと「いや、お前の力、実力だよ」と褒めてくれるようになったりする。

もちろんそれで勘違いしきったりはしないまでも、

「現在、そして今までできてきた仕事も全て、周りの人のおかげでできてきたんだ。これからも継続したいだけでなく、これまでやれてきたことに傷がつかないことを望むなら、やれていることが当たり前ではなくて、心の底から、やらせてもらってるんだと思える人間になった方がいい」


あらためてそう思いました。言葉ではなく心の問題として。


松山から米子への移動日

posted by take at 22:39| 活動報告