2017年07月16日

人の夢


自分以外の人の幸せを願うことはある。

僕だったら家族、生徒、被災者の未来の幸せには、何かしらの希望が僕の中にあったりする。


しかし自分で自分を幸せにはできるだろうが、他人に対しては、願えども「自分ができる」とはなかなか思えない。プロポーズや結婚式では「君を幸せにする」と言葉にしたりするのだろうが(僕は言ってない)、現実的には自分自身の力こそが、真の幸せに最も影響があるのは間違いないでしょう。



「夢」という希望の話によくなります。


叶うか叶わないか。叶えられる人叶えられない人、叶え方。

「夢が叶った」というのは、実はイメージとしては、自分に対して事後承諾みたいなものであり、結構時間が経ち、自分にある程度の満足度、周りからも認められる実感がある場合に言えることだと思います。

これは、



希望の強さと継続度が運も呼ぶ



ということに尽きるのだと思います。

自分が「どうしてもなりたい」「どうしても手に入れたい」「どうしても実現したい」と、どれだけ強く強く希望しているか。そしてそれを、バラエティに変化する日常の時間、迫りくる現実、能力を見ようとする社会からの圧力、場合によっては反発の中で、どれだけ継続して宿しているのかが、全てのスキルと、運命を呼ぶ結果になるのだと思う。

そこまでわきあがらない人だけでなく、実は強くある人も自身では実感がなかったりするし、日々目の前と格闘しながら少しだけ欲を持っているだけなのでしょう。


そして運というのは必ずあり、強く思い、それが続いている人にだけ味方する。実は自分で呼び込んでいる場合が多い。

残念ながら味方しない場合もあるだろうが、しかし思いの弱い人には元々夢の存在自体が難題であり、叶うという以前の問題、夢への流れにはならないものである。


だから他人がどれだけ願おうが「夢」というものは

自分にとって自分のものは希望の喜びになる可能性があり、他人にとっては切ないものになりうる。

思いの弱さ、そして強さも他人にはどうしようもできないものだから。


N響松山公演

posted by take at 23:40| 活動報告