2017年06月22日

表現の道 技術の道


一昨日のブログ、何を言いたいのかわかるようでまるでわかりませんね。自分で呆れます。


「ちゃんとしたものをやろうとするのじゃなく、いいものをやろうとしよう」


と書きたくて、全く整理つかないまま文章にしアップしてしまいました。



日本人は「ちゃんとしてることが大事」な民族ですが、それでかなり面白いことができたりもするので凄かったりする。

ただ「ちゃんとする」からスタートしたわけではなく、とにかく面白いも含め「いいもの」を第一義に目指し、ちゃんとするはあとからついてくるみたいなプロセスの民族もいます。

はっきりそうかは世界中の人と話したわけではないからわかりませんが、しかしいるはずです。それらしい話は聞いたことあります(ざっくりしとんなあ)。


技術やノウハウから入るのではなく、とにかく感覚や感性、感情から入り、それを実現するために技術を後付ける。

とにかく表現や意欲こそが、人間のやるべきことの最も価値あるものであるという空気を作り、投げ掛けたい。

そう自分を変化させる過程では

「技術なんてくそくらえだ」

という暴言も吐いてみる(キンミヤホッピー二杯目)。

技術がなければなにもできない、のは最初だけ。

表現意欲が連れてきた技術は、マッチングも様になる。

表現なく技術を磨く時間を繰り返すと、画一的な表現しかしなくなり、それで良いと思ってしまう。

あなたの客は、あなたの技術の享受も喜ぶが、実はあなたの表現の享受の方をもっと喜ぶ。

表現の裏付けなき技術は、同業者の驚嘆と羨望は得られても、人類の心そのものに喜びを与えるほどの価値にはならない。


辺りのことを、書きたかったんです。


N響定期練習

posted by take at 19:17| 活動報告