2017年06月19日

あの頃


今日はソロのおさらい会でした。

楽聖たちは、とても充実した音楽的表現へとはっきりと向かっている。聞いていて、これからが益々楽しみになり嬉しかった。


実は先月から取り組みに関するアイデア、その投げ掛けを大幅に変えてみた。

皆きちんと試し、きちんと探したようで、各々の楽曲に対する思いが、サウンドにかなり反映されるようになってきたので、これまた嬉しい。


教師というのは、まず自分が辿ってきた道と同様なことを、楽聖たちに要求しようとする。途中からそればかりというわけにはいかないことに気づき、研究が始まったりするのだが、そんな過程の中で、自分の学生時代を思い起こそうと何度も試みたのだが、どうしても思い出せないことがほとんどで。

コンクールやオーディション等転機になったことは記憶にあるが、毎日の生活、毎日の練習をどんな気持ちでどんなことをやっていたのかが、どうしても思い出せなかった。


それが、ここ数日ふとわいてきています。


理由は、楽聖たちに要求したことが、そのまま僕が彼らの年の時日常取り組んでいたこととリンクしていたから。思い出したから投げたのではなく、投げたら思い出した。


それは……

とにかく曲の場面、一音の中に、自分の心のクレパスから心色をチョイスし、その心情が充分コーティングされるよう練り込むこと。その探求と実践、そして本番で放つことを大いに楽しむこと。

大学は学ぶところという名前だが、音学的ではなく音楽的日常を送ること。

自分が特別な存在でありたいために、周りに認められようと自分だけの表現を披露することを楽しむこと。

オケに入りたい、周りよりも上手くなりたい、そんな気持ちはあるにはあったが、そんなプレッシャーテイストの時間的パーセンテージは意外に低く、表現が見つかっていくこと、トロンボーンでできることが増えて変わっていくことを、とにかく楽しんでいた。

酒も飲んだし恋愛も失恋もしたが、人生経験を重ねた今より鈍感だったかといえばさにあらずで、今と変わらず多感に揺れ動いており、不安とそれ以上のよくわからない希望が心を明るく支配していた。

そんな自分の心音を探し、トロンボーンに練り込む作業を、本当に楽しんでいたからだろう。金は無く、首の伸びきった変なイラストのTシャツに洗濯してないジーンズ、穴の開いた靴下やボロボロのスニーカーで大都会を歩きながら、それでも表現の希望に包まれていたのだった。


30年近くたって、ようやく思い出してきました。


楽聖たちを一人一人見つめながらそんな話をしていたら、目の前の彼らのようだった当時の若い僕が急にいとおしく感じられ、更に少々凹み気味な今の自分が救われる感覚すらわいてきたのでした。


川越へ

posted by take at 13:19| 活動報告